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2021年5月28日 (金)

観音寺跡墓所の石仏(板橋区徳丸)

徳丸6丁目にはあちこちに石仏がある印象。徳丸6丁目という地域は前谷津川の左岸の台地上から流域までを含めている。台地上の石仏は東西に散らばり、かつての旧道沿いに並んでいる。北野神社から四葉方面へのかつての東西の村道である。その道沿いにある墓所が観音寺跡で、明治29年(1896)に安楽寺に合併された。その時に観音寺の本尊であった聖観音像(徳丸観音と呼ばれていた)も安楽寺に移されたと記録されている。

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墓所入口には一対の仁王像が立っている。享保12年(1727)12月の造立で、「武州豊嶋郡徳丸村 講中三十三人 志七十人」とある。「観音寺 現住長宥」と書かれており、当時の観音寺は多くの檀家信徒で賑わっていたのだろう。この仁王像の右手に、六地蔵が並んでいる。これが興味深い。

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六地蔵そのものはすべて享保4年(1719)10月の造立。台石があっているかどうかは不明だが、右から「預天賀…庚申講十二人」、「金剛願…念仏講中十五人」、「庚申講十一人内」、「金剛童…天放光」、「金剛怒…念仏講十五人内」、「金剛宝…念仏講十五人内」と刻まれている。これに従うと、2基は庚申講中によるもの、3基は念仏講中によるもの、そして1基は放光地蔵であり地蔵と観音の両方を含む安産祈願の信仰対象。民間信仰の多様性とそのクロスオーバー状態には感心する。

場所  板橋区徳丸6丁目52-5

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