« 京徳観音堂境内の石仏(板橋区西台) | トップページ | 馬頭観音堂(板橋区西台) »

2021年6月 3日 (木)

円福寺法蔵庵の石仏(板橋区西台)

弥陀堂の坂の坂上にあるのが円福寺法蔵庵。山門の左脇には庚申塔、右脇には地蔵菩薩と六地蔵が並んでいる。昔、この円福寺法蔵庵のことを村人は弥陀堂と呼んでいたので坂名が弥陀堂の坂になったようだ。法蔵庵は円福寺の境外堂で、板橋の昔話に『枯れ葉の小判』というのがある。

Cimg2077

『昔、西台村の弥陀堂の坂を侍が馬に乗り通りかかった。野良仕事をしていたお百姓に「鶴ヶ池に参るにはどう行けばよいか」と尋ねた。お百姓は「それならばこの道をまっすぐに行けば森が見えますから、その森の近くにある大きな池が鶴ヶ池でございます」と教えた。侍は「親切に教えてくれてかたじけない。これは謝礼じゃ」と言って小判を二枚くれた。「遠慮なく取っておくがいい。但し拙者が立ち去るのを振り返ってみてはならぬぞ」と侍は言い立ち去った。ところがお百姓はつい振り返って侍を見送ってしまった。そして握りしめていた小判をふと見ると、それは黄色く色づいた楢の枯れ葉二枚に変わっていたのであった。』という話しである。

Cimg2082

その場所がこの法蔵庵の辺りだと言われている。門前の向かって右にある六地蔵は享保年間の造立。右から、享保13年(1728)2月、当村 小原熊次郎が亡くなった子供達の為に建てた墓石である。右から二番目は年紀不詳、三番目は享保6年(1721)5月、四番目が巨保13年(1728)4月、五番目は享保14年(1729)9月造立でこれは墓石ではなく念仏供養塔で武州西臺村の結衆によるもの。一番左は享保11年(1726)5月の造立で、これも墓石の可能性が高い。

Cimg2084

六地蔵の山門側にあるのが舟型光背型の地蔵菩薩像。享保4年(1719)の造立で「奉讃地蔵菩提西臺田端村」とある。田端という小字は京徳観音堂よりもさらに先の、天祖神社先神明坂下の低地のことである。旧家が立つ北側は広々とした西台田圃が広がっていた。山門の左には地蔵と相対するように庚申塔がある。造立年は正徳6年(1716)1月。「奉彫刻庚申供養二世安楽處」「武州豊嶋郡西台郷田端村講中」とあるので、これも田端のものである。日月、青面金剛像、二鶏、邪鬼、三猿が描かれた駒型の庚申塔で高さが109㎝ある大きなものだ。

Cimg2079

境内に入ると奥は墓所になっており、その入口に6基の石仏が祀られている。後列左は角柱型の供養塔で、三界万霊塔と西國、四國、坂東、秩父の巡礼塔を兼ねている。造立は寛政10年(1798)8月。中央の背の高いのは丸彫の聖観音菩薩立像。明和5年(1768)10月の造立で、大乗妙典六十六部供養塔を兼ねている。「武州豊嶋郡西臺邑弥陀堂 西臺山円福禅寺現住月柱叟」とあるので当初からこの境内にあったものだろう。

Cimg2085

後列右は舟型の如意輪観音で元禄12年(1699)の造立。手前の左側は、舟型地蔵菩薩で明和6年(1769)8月のもの。「帰来禅海沙弥 施主 荻野武七」とあるが墓石かどうかは分からない。手前中央は如意輪観音で天明3年(1783)の墓石、天明2年に娘を、天明3年に妻を亡くして立てた供養塔のようである。最後に、手前右端は地蔵菩薩だが造立年は不詳。しかしこれだけ多くの石仏があるのは当時の西台村が豊かであったことの証だろうと思う。

場所  板橋区西台3丁目35-1

|

« 京徳観音堂境内の石仏(板橋区西台) | トップページ | 馬頭観音堂(板橋区西台) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 京徳観音堂境内の石仏(板橋区西台) | トップページ | 馬頭観音堂(板橋区西台) »