北向庚申(大田区東雪谷)
大田区東雪谷の荏原病院通りは武蔵野台地の突端でもある荏原台地の尾根筋を走る。この尾根筋の街道も江戸時代からの村街道である。中原街道から池上本門寺へのメインルートとして多くの人々が通った道。そういう道だけに道すがらいくつかの堂宇を見出すことが出来る。
中原街道から600m程南西に進んだところにあるのが「北向庚申」と呼ばれる堂宇。堂宇は道路とは並行でも垂直でもないおかしな方向を向いている。この向きはほぼ真北である。それが北向庚申の名前の由来なのだが、この道がそもそも江戸時代は上池上村と雪ヶ谷村の村境だったので、塞ノ神という意味合いではなさそうである。堂宇内には題目供養塔と庚申塔が祀られている。
右の題目供養塔は天和3年(1683)霜月(11月)の造立。舟形に釈迦如来像を陽刻し、雪谷村一結25人、読唱記念と書かれている。釈迦如来像の脇には「南無妙法蓮華経南無釈迦如来」「奉唱満首題壱千部成就問題」とある。一方の庚申塔は、駒型で享保14年(1729)3月の造立。これが北向庚申と呼ばれる石仏で、日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿が描かれている。願主名は直井姓が6人、国府方姓が1人となっていた。
場所 大田区東雪谷3丁目4-4
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