京徳観音堂境内の石仏(板橋区西台)
風情ある鑿跡の階段を上ると観音堂の境内に出る。京徳観音堂はもともと教徳寺の一部だった。教徳寺の創建は鎌倉から南北朝時代あたりにまで遡るようで、境内にもその時代の宝篋印塔がある。教徳寺から京徳という地名が生まれたかどうかは定かでないが、おそらく遠くないだろう。
今ある観音堂の建立年は分からないが、今の観音堂も室町時代の雰囲気のある花頭窓がとてもいい雰囲気を醸し出している。教徳寺は廃仏毀釈のあおりを受けて明治5年(1872)に廃寺となってしまった。そのあとは円福寺が管理を続けている。
観音堂の左手にいくつかの石仏がならんでいるが、一番左に自然石でつくられた馬頭観音がある。大きいもので高さは89㎝、大正10年(1921)11月の造立と比較的新しい。願主名は小原傳左衛門、荒井三喜蔵と書かれている。小原家の名前はこの辺りの石仏ではしばしば見かける。
隣りの立派な堂宇に納まっているのは寛政12年(1800)8月造立の舟型薬師如来像である。資料によると、俗に「め」の薬師として信仰を受けてきたらしい。眼病にご利益があるということだろうか。
さらに観音堂寄りにあるのが舟型光背型の地蔵菩薩像。万治3年(1660)2月の造立である。「武州豊嶋郡西台村 小原又右衛門 おたけ 為念佛供養」とあるので、旧家の小原家が中心になって念仏講中のために造立したものであろう。通称は「峡(はけ)の地蔵」と呼ばれる。観音堂の下の道も峡田道に通じる道で、この弥陀堂の坂を下ると前谷津川に出る。
場所 板橋区西台3丁目53-21
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