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2021年6月 9日 (水)

長久保道の馬頭観音(練馬区大泉学園町)

朝霞駐屯地より南へ少しだけ出来た33m道路は長久保道との交差点で幅員が狭くなる。この長久保道は現在では別荘橋通りと呼ばれており、都道108号線になる。別荘橋にある中里地蔵尊からはおよそ1.4㎞の距離の辻にあるのがこの馬頭観音。長久保道と交差するこの道も江戸時代からある古道で、現在の都県境で川越街道から分かれて東久留米市へ向かう街道だった。

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練馬区の資料を見るとこの馬頭観音は以前は地中に深く埋まっており、文字で言うと「馬頭観…」までしか地上に出ていなかったようだ。しかし今は最下部迄地上に出ている。正面には「馬頭観世音菩薩」とあり、その脇に「右 子権現道」「左 大山道」とある。最下部には「菅谷 清水 拜書」とある。拜書という言葉の意味は分からない。造立年は右面にあり、寛政11年(1799)11月、「世話人 願主 源兵衛 銀右衛門 作右衛門」と彫られている。

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向かって左面には、「武州新座郡下新倉新田 念佛講中十人」とある。江戸時代この辻より北は新倉新田、南は橋戸村であったので、願主は北側の長久保地域の新倉新田の講中ということになる。右脇にあるのは燈籠と台座石で、燈籠右面には阿夫利神社とあり、左面には伊▢神社とある。推察するが「伊」で始まるのは伊勢神宮以外には思い浮かばないので不明。この台石には「文化4年(1807)5月  武刕新座郡下新倉新田 観音経 講中 拾三人 ▢久保」とあるがこれは長久保だろうか。

資料の写真は昭和末期のものと思われるが、どうして60㎝程も土中に埋まっていたのかは分からない。

場所  練馬区大泉学園町8丁目14-10

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