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2021年6月13日 (日)

東新田の馬頭観音(練馬区大泉学園町)

題目塔のある辻から南へ一区画下ると、旧道は大泉学園通りに斜めに出る。五差路になっていて、角にはスーパーのマルエツ、大泉郵便局などがある。郵便局の並びにある駐車場の角に二基の石塔が立っている。

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一基は大きいもので、もう一基は小さい角柱である。この旧道を境にして、東側が東新田、西側を西新田と呼んだ。この道は村の幹線だったようで、新田の南は東が東仲置、西が西仲置という小字、さらにその南側は東本村と西本村となっていたようである。

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左の自然石でつくられた馬頭観世音塔は存在感のあるもので、大正13年(1924)6月の造立である。上部には「妙法」とあり、下部には「南 堀之内道  北 白子道」とある。背面の年紀の脇に「施主 加藤新作」と彫られている。

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一方、右の小さい方の石塔も馬頭観音である。文字が摩滅して読みづらい状態になっているが、練馬区の資料によると、この馬頭観音に書かれているのも、「南 ほりのうち道  北 白子道」。そして造立年も自然石の馬頭観音と同じ大正13年(1924)だが3ヶ月ほど早い6月の造立である。施主はというと「加藤林蔵」とあり、加藤家の中で別々の家が建てたようだ。区の「古老聞書」には記述がなかったが、加藤家の中での競争などがあると面白い話だと思うのだが。

ちなみに南北に走る大泉学園通りは、関東大震災の後、箱根土地が買収を行い、東大泉駅(現在の大泉学園駅)が出来ると朝霞への道をまっすぐに開いた。当時は今よりも広く四十間幅というから72mの幅員の道路が通っており、滑走路として使おうとしたようだが実現せず、狭くなった分は地主に返還されたという。

場所  練馬区大泉学園町4丁目21

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