東貫井の馬頭観音(練馬区貫井)
目白通りの側道傍らにある清戸道沿いの庚申塔の向かいにあった馬頭観音が30mほど西に移設されていた。目白通りに向かって中村橋駅から延びてきた新道は平成になってから開通したもの。旧道との交差がちぐはぐな道になっている。馬頭観音の東側には昔は沢が流れていた。暗渠マニアの間では向山ヶ谷戸支流と呼ばれている。
馬頭観音は駒型で、造立年は天保15年(1844)4月。施主名は「当村願主 榮治良」と記されている。馬頭観音はもともと清戸道との関係で建てられたものではないかと思う。
江戸時代末期のものだが、今でも近所の方に大切に祀られているようだ。この辺りは江戸時代から明治にかけては東貫井と呼ばれた地域。この西側を石神井川支流の貫井川が流れていたが、東貫井は右岸、本貫井、中貫井は左岸である。練馬区の資料によると、貫井2丁目18(都営貫井二丁目アパート公園辺り)で古代の国司級の高官の装身具が発掘されたという。詳細は未詳だが、1000年以上前には政治的に重要な場所だったのかもしれない。
場所 練馬区貫井2丁目1-16
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