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2021年7月11日 (日)

石観音堂の石仏(練馬区北町)

旧川越街道の下練馬宿はかつての街道の名残りを部分部分に残している魅力的な商店街である。環八通りが下をくぐる大山道道標から西へ進むと、400mほどで下練馬の富士塚のある浅間神社がある。富士街道の分かれていた大山道道標より江戸側が下宿、徳丸から吹上観音堂への道が分岐する石観音堂(北町観音堂)から川越側が上宿で、その間が中宿と呼ばれていた。

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石観音堂に向かって左の広い道が旧川越街道の下練馬宿上宿、そして右の現在は細路地に見える方がかつての旧道で徳丸から吹上観音堂に向かう街道で、ここは分岐点だった。吹上観音堂は現在の東明禅寺のこと。高島平の西、和光市白子にあるが、ここには百庚申と呼ばれる135基もの庚申塔があるというからいずれは行ってみたい。

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入口を入っていくと左右の堂宇に、北町の仁王様と呼ばれる阿形像、吽形像がある。造立年は天和3年(1683)3月という石像である。「生国武州八王子 奉立之施主 光岳宗智」とあるが高貴な僧侶だろう。有名な寺の山門にある木造の阿形吽形像には迫力が及ばないが、石造ということで庶民的な親しみやすさを感じられる。

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奥にはまず極めて立派な馬頭観世音菩薩が祀られている。まるで菩薩像のような雰囲気を醸し出しているが、高さ138㎝もある丸彫風の光背型の馬頭観音である。造立年は不詳、銘文もないので詳しいことは分からない。ただ、街道筋ということで牛馬の大切さがより高く、このような立派な馬頭観音を建てたのだろう。

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そして石観音堂の主役とも言えそうなのがこの丸彫の聖観音像。半跏像になっておりこれが観音堂由来かと思われる。造立年は天和2年(1682)8月。「武州河越多賀町隔夜浅草光岳宗智日参所  奉新造聖観音為四恩報謝也 」とある、下部の丸い台には近郊遠近多数の町村名が刻まれており、この石観音が川越街道全体の中で進行を受けていたことが分かる。

新田、宇登坂、常連坊、上砂本、藤間、亀久保、大井、藤久保、中野、大和田、野火留、膝折、本宿、新倉、高沢、白子、北町、赤塚村、下町、南町、鍛冶町、下練馬、多賀町、上板橋、田鳥(で一字)町、等知らない場所もあるが概ね街道沿いの町村である。

場所  練馬区北町2丁目38-19

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