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2021年7月 5日 (月)

円明院の石仏(2)(練馬区錦)

さて山門に向かって左側にも石仏が並んでいる。右から、弘法大師碑、延命地蔵が2基、そして地蔵がもう1基の計4基が並ぶ。弘法大師碑は笠付角柱型で、正面に弘法大師の座像が陽刻されている。その脇には、「天下泰平 國土安全」と書かれている。その下には「大乗妙典六十六部現世二世祈所」とある。造立年は安永5年(1776)2月。

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その隣の地蔵菩薩立像は明和元年(1764)10月、台石正面に「奉造立地蔵菩薩」とある。側面には「武州豊嶋郡下練馬村今神講中 願主篠原右衛門」の銘がある。左の地蔵菩薩立像は、享保3年(1718)ともっと古い。正面に「奉造立地蔵菩薩尊像 為現當二世安楽也」とあり、側面には「武州豊嶋郡下練馬村」の銘がある。

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左端の角柱型の地蔵尊には「血の道地蔵」という物騒な名前が付いている。造立年は明治25年(1892)。血の道とは女性のホルモン変動に伴って現れる精神不安や苛立ちの精神症状をいう江戸時代からの言葉である。実は英語圏ではPMS(Premenstual Syndrome)という生理前の同じような精神不安定をいう単語がごく普通にある。

明治時代までは女性のそういう症状もおおらかに捉えていた日本の社会が、大正末期から昭和前中期にかけて、本来の庶民風俗を虐げてきたのではないかと思う。例えば形の上での「家族」もその時代に強要されて根付いたものである。ところがそれを遥か昔から日本人にあるものと思っている不勉強な政治家やオピニオンリーダーがこの国を牛耳っているので、おかしなことになってしまっている。 江戸時代以前を学べば学ぶほど、昭和前期中期に育った人々の大きな過ちが見えてくるのである。

話を地蔵に戻して、この血の道地蔵はその女性の精神的な不安を取り除くご利益があるだけではなく、いぼとり地蔵としても信仰されていて、いぼ(疱瘡)に効くらしい。

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山門をくぐり本堂脇を廻って裏山の斜面に行ってみるとそこには小さな洞窟があり、穴守弁財天碑が祀られている。この弁財天碑、写真ではわかりにくいが見事な線刻で弁財天が描かれている。造立年は文亀元年(1501)という室町時代。日本の歴史的な画家雪舟が生きていた時代である。京都では足利義政に始まる東山文化が全盛の時代である。

『大正2年(1913)村道改修のため、當寺裏山の崖を切り崩した際に発見された洞窟で、奥行約20m、高さ約2m、横幅約1.5m、両側に蓮華花弁模様が刻まれ、奥上段に文亀元年の年号と弁財天を彫り込んだ板碑が奉安されていた。この板碑は毛彫りで極めて珍しく、美術的価値も高い。穴守弁財天と称し大正4年に盛大な供養を行った。第二次世界大戦中は防空壕としてご本尊を安置したが、その後急速に崩壊の兆しが現れたので現在のように改修した。』とある。線刻の美しさはこの現物(板碑の上部)を見ないと分からないと思う。

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また境内には関東大震災の犠牲者の慰霊碑もあり、これは登録文化財となっている。大正12年(1923)の関東大震災で、練馬駅北口にあった上毛モスリン株式会社の練馬工場のレンガの建物が崩壊し、女工8人、男性1人が殉職した。その慰霊碑である。いつ起こるか分からない100年毎の大震災はもういつ来てもおかしくない周期になっている。

場所  練馬区錦1丁目19-25

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