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2021年7月16日 (金)

南蔵院の石仏(練馬区中村)

練馬区中村にある南蔵院は瑠璃光山南蔵院医王寺が正式名。南蔵院という寺院はあちこちにある。この南蔵院の創建年代は不詳だが、延文2年(1357)に良弁僧都が中興したとされる。良弁僧津は良弁塚の高僧と同一人物である。南蔵院は古くから万病に効くという白龍丸を頒布し「南蔵院の投込み」として全国に広まったという。明治になり1877年に薬事法で禁止されるまで頒布は続いたようだ。

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南蔵院には近隣から移設された石仏が多い。写真の笠付角柱型の聖観音像もその一つ。もともとは中村南3丁目2の中村八幡神社脇に首つぎ地蔵とともに祀られていたものである。角柱型の聖観音像は珍しい。造立年は寛政11年(1799)2月で、右面には「奉順礼西国坂東秩父百箇所供養仏」とある。正面には「覚仙」という僧侶らしきながあり、左面には「俗名 内田兵三郎」とあるので出家の記念だろうか。写真には端しか写っていないが右隣りには造立年宝暦12年(1756)4月の角柱型の供養塔もあり、これも同じ場所から移設したものである。

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同じところにあった首つぎ地蔵尊も南蔵院に移された。年号は不詳。中村に加藤という人がいて、ある日道を歩いていると畑の中に地蔵様の首が転がっていた。これを拾って持ち帰り、妻に見せると生首のようだと言われ始末に困ってしまった。そこで護国寺の僧侶に相談したところ、倒れないように木で支えを作って差し上げろとのこと。しかし実際にやってみると恰好が良くないので、きっと近所に胴体が落ちているだろうとあちこち見回った。2,3日後についに首なし地蔵を見つけ、合わせてみるとぴったり合うので、石屋に頼んで繋ぎ合わせ、護国寺の住職佐々木僧正に命名をお願いすると「首つぎ地蔵」という名が決まり、昭和30年頃堂宇を建ててお祀りした。首が繋がっているというのでサラリーマンに人気が出て一時は大勢の人が参詣したらしい。

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境内には朽ちかけているかと思うほど古そうな鐘楼門がある。練馬区指定文化財になっていて、中には仁王像もあり古くとも見事なものだが、その裏手にあるのがこの北向地蔵。蓮華座の蓮弁部分に年号などが彫られている。造立は元禄9年(1696)5月。法印良盛造営とある。

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その傍には大乗妙典供養塔が立っている。造立は宝暦11年(1761)10月。西国坂東秩父百箇所、四国八十八ヶ所の巡礼記念で、武州豊嶋郡中村の銘がある。

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本堂に向かっていくと大きな水鉢がある。寛延元年(1748)11月に造られたもの。左面には「武刕豊嶋郡中邑郷」とある。正面には水盤願主助力370人、観音百番成就講中13人とあるが、薬師御宝前とあるのは寺の本尊である薬師如来を祀るものであろう。

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本堂左手の墓所に入ると自然石で造られた「川施餓鬼供養塔」と摩滅が進行して正体の分からない笠付角柱型の石仏がある。施餓鬼というのはお盆の行事で、餓鬼道で苦しむ衆生に食事を施して供養するもの。昔は水で亡くなる人も多く、川岸や船上で施餓鬼を行うことがあり、それを川施餓鬼という。明治15年(1882)10月建之とあり、裏には「右 東高野山道」とある。一方の笠付角柱型についてはおそらくは地蔵菩薩立像だろうと思う。側面には道標があったのではないだろうか。

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その先には舟型光背型の聖観音像と六地蔵がある。六地蔵はその台石にすべて「念仏講中 男女38人 内田半平」とあるが造立年等は分からなかった。その左にある聖観音像は、元文元年(1736)8月造立で、「奉唱念光明真言二百七十万遍供養佛」とある。願主名は中村金左衛門。

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六地蔵の先にあったのは、中村2丁目19番から移設された笠付角柱型の庚申塔である。造立年は寛政12年(1800)11月。武州豊嶋郡中村の銘がある。正面にはかなり摩滅しているが青面金剛像、邪鬼、三猿、脇に二鶏だが左が消えかかっている。上部には日月があった痕跡は残っている。青面金剛は左手におそらくショケラを持っているが、ショケラの姿がはっきりしない。

いくつもの石仏を受入れている南蔵院は明治9年(1876)には本堂を使って豊玉小学校が設置された。

場所 練馬区中村1丁目15-1

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