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2021年7月 9日 (金)

下練馬の大山道道標(練馬区北町)

旧川越街道から富士街道が分岐する丁字路にあったのが大山道道標と東高野山道標である。現在は環状八号線が開通、ちょうどここから北が東武東上線を潜るための北町若木トンネルになっており、トンネル入り口の真上を旧川越街道が横切る形である。

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トンネル入口の真上は緑地になっており広い歩道がある。歩道とUターン用の車道の間に大山道道標と東高野山道標が祀られている。環状八号線の工事が始まる前はこの堂宇より8mほど江戸寄りに不動寝具店があり、その角に東に向かって立っていた。

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かつての不動寝具店は昭和の布団屋さんらしく、川越街道側には布団が店頭に重ねておかれ、その隣には瀬戸物屋(陶器店)があった。下練馬宿のランドマーク的な場所だったと思われる。明治大正時代に遡ると、不動寝具店もなく、ここには道標があり人力車の溜まり場になっていたという。「旦那、板橋までどうです?」なんて車夫が声を掛けることもよくあったそうだ。

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右の大山道道標は宝暦3年(1753)8月の造立。上部の不動明王像は後年付けられたものらしい。正面には「天下泰平 國土安全 従是大山道  願主 内田久右衛門 並木庄左衛門」とある。右には「武刕豊嶋郡下練馬村講中48人」、左には「ふじ山道 田なしへ三里 府中江五里」とある。願主の内田久右衛門は30年の差はあるが棚橋の地蔵の願主と同一名である。左の東高野山道標は造立年不詳。「左 高野山道」とあるが、この高野山と言うのは高野台の長命寺のこと。当時の長命寺は紀伊の高野山を模して伽藍を整え、山号を東高野山としていた。

場所  練馬区北町1丁目25-15

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