五差路の石仏群(練馬区桜台)
西武池袋線桜台駅から北に向かい広徳寺へ通じる道は江戸時代からある道。広徳寺の先の大橋で石神井川を渡り、上練馬村へ向かう道である。その途中の変形五差路に複数の石仏が並んでいる。
こういう何気ない路傍の石仏はとても魅力的である。関東大震災前や昭和初期(戦前)の地図を見るとこの道のはす向かいにも石仏のマークがあるので、後にここに纏められたのだろうか。後ろにあるハイムマキというアパートの左側は狭いながらも墓地で風間墓地というらしい。その墓地との関係もあるのかもしれない。
右端から、角柱型の馬頭観音。造立年は明治23年(1890)12月。左面に「願主 小泉鶴吉」の銘がある。その隣は駒型の庚申塔。高さは1mほどあり、造立年は延享2年(1745)9月である。日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿が描かれており、右側面の年紀の下に「下練馬前湿化味村 願主 小泉権右衛門」とある。左側面には「講中 拾壹人」と彫られている。「前湿化味村」というのはここから東側一帯の古い地名で「宿湿化味(シカジマケミ・シクジッケミ)」と呼ばれていた石神井川流域の低湿地あたりを指す。
左から二番目の石仏は舟型光背型の地蔵菩薩立像。造立年は元禄2年(1689)2月で、「奉造立地蔵一宇 逆修也」とある。かつては堂宇があったのだろうか。下部には沢山の男女名がある。40人くらいはあるだろう。一番左は駒型の庚申塔。日月、青面金剛像、三猿が描かれており、寛政9年(1797)10月の造立。道標が兼ねられており、「右ハ 荒井梅松院道(新井薬師梅照院のことだと思われる)」、「左リ 雑司ヶ谷道」と書かれている。また「世話人 四郎右衛門 講中 九人」とある。
場所 練馬区桜台5丁目2-9
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