庚申塔と夜泣き地蔵(練馬区早宮)
早宮中央通りから斜めに分岐する小道に入るとしっかりした堂宇が建っており、庚申塔と丸彫の地蔵が祀られている。この丸彫地蔵は夜泣き地蔵と呼ばれて古くから多くの信者を集めてきた。子供の夜泣きに御利益があると信じられ、遠方からも多くの人々が参詣にやってきたという。堂宇内に地蔵の願主である芹沢家の御子孫の方と思われる人の掲示物があった。
地蔵堂は早宮中央通り側ではなく反対の路地側を向いている。実はここから200m程の間はこの裏側の路地が鎌倉街道時代からのルートなのである。江戸時代下練馬道となってもその道筋は変わらず、大正時代になってようやく早宮中央通り側が整備され真っ直ぐな道になった。
堂宇内右にあるのが夜泣き地蔵。高さは180㎝ほどもある。造立年は享保3年(1718)10月、台石に刻まれた文字はほとんど読めないので練馬区の資料を参照した。台石には「武州豊嶋郡下練馬村 奉造立地蔵尊二世安楽 講中二十七名 願主 芹沢伝次郎」とある。張り紙はこの願主名と、張り紙にあった「K,Serizewa」という記名から御子孫だろうと結び付けた。
左側には駒型の庚申塔、高さは94㎝ほどあるが地蔵の背丈が高いので小さく見える。日月、青面金剛像、邪鬼、三猿、二鶏が彫り込まれているが、二鶏は三猿の上に混じっている。造立年は安永5年(1708)2月で、主尊の脇には「奉造立庚申供養 二世安楽祈▢▢欽言」、「武刕豊嶋郡下練馬之内宮谷戸西村 結衆十二人」と記されている。夜泣き地蔵よりも10年程前に造られたものである。
場所 練馬区早宮3丁目42-42
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