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2021年8月19日 (木)

天王寺の石仏(1) (台東区谷中)

天王寺の山門をくぐると正面には大きな銅製地蔵座像が見えてくるが、これについては別述する。銅製地蔵に向かって左手には大小の庚申塔が植込みの中に8基ほど祀られている。一部年不詳のものもあるが概ね寛文、貞享、元禄年間のもので江戸時代初中期、4代徳川家綱と5代綱吉の時代のもので庚申塔としては比較的初期のものと言える。

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上の写真では右端の1基が樹木に隠れているが、中央の巨大な庚申塔を挟んで、右に3基、左に4基、計8基が並んでいる。右の隠れた庚申塔は駒型の庚申塔で貞享5年(1688)3月の造立。上部に日月、下部に三猿が彫り込まれている。中央には「奉納庚申諸願成就」とあり、左下には「願主小川清右衛門」の銘がある。

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右から2、3番目も駒型の庚申塔である。二番目の庚申塔は造立年が元禄5年(1692)5月、上部に日月、下部には三猿が陽刻されている。中央には「奉納庚申諸願成就」と一番右の庚申塔と同じ文言。願主名は「渡部平四郎」と書かれている。右から3番目の庚申塔は文字塔ではなく、青面金剛像。造立年は元禄2年(1689)3月で、この時代は尊像がまだ青面金剛になりつつある時期のようだ。上部に日月、青面金剛像、下部に三猿が陽刻されている。右側には「奉掛庚申ご供養」、左には「水谷をいち」という女性の願主名がある。

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中央の巨大な庚申塔は板碑型。高さは158.5㎝とひときわ大きい。造立年は寛文3年(1663)12月でこの中では最古である。上部に「妙法」と大きく描き、その左右には「三守庚申三尸伏」「七守庚申三尸滅」とある。この文言は啓運寺にあった延宝8年(1680)の庚申塔と同じで、二つの庚申塔は何らかの関係があるのかもしれない。

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この板碑型庚申塔には「谷中村」「講人数」とも書かれているが、谷中村は元禄時代以前の地名で、その村人が講中の構成員。元禄以降、谷中本村、谷中町、谷中町在方分に分かれた。現在の根岸や日暮里の一部も含んでいる。

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大きな庚申塔の左脇にあるのは駒型の庚申塔で元禄5年(1692)9月の造立。上部に日月、下部に三猿の図柄である。中央には「奉納庚申諸願成就」とありこれは前述の右から2基と同じ。願主名は「▢▢屋九兵衛」とある。その左の庚申塔も駒型で、元禄2年(1689)12月の造立。これもまた中央には「奉納庚申(戌歳)所願成就」とある。上部にはくっきりとした日月、下部には細長めの三猿が陽刻されている。願主名は「於源」とあるが僧侶なのか町人なのかは分からない。

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左端の2基も駒型の庚申塔。右側は貞享4年1687)7月の造立で、これも丈夫に日月、下部に三猿の陽刻。文言も同じく「奉納庚申諸願成就」とある。願主名は「志け」とあるが本当の名前かどうかは分からない。一番左の庚申塔は年紀不詳。江戸時代しかも元禄あたりのものというのは間違いないだろう。上部に日月、青面金剛像、その下に三猿が陽刻されている。なぜか摩滅がすすんでおり文字が読み取れないのは残念。

場所  台東区谷中7丁目14-8

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