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2021年8月13日 (金)

諏方神社の庚申燈籠(荒川区西日暮里)

JR山手線・京浜東北線の日暮里駅と西日暮里駅の間は500mしかない。今では西日暮里駅の昔を知る人は少ないが、山手線の駅ながら西日暮里駅が開業したのは昭和46年(1971)。地下鉄千代田線との連絡駅として新設された、高輪ゲートウェイ駅のひとつ前の山手線の新駅である。そういう経緯なので駅前という感じの駅前がない山手線の駅になっている。

西日暮里駅と交わる道灌山通りは、昔からあった道灌山と谷中の台地に切通しされた道である。道灌山には東京でもトップの開成高校があるが、道灌山一帯はもとは現在の秋田県出羽久保田藩の佐竹家20万石の大名屋敷。そして西日暮里駅周辺は新堀村という村であった。(にいぼり→にっぽり、と変化)

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JRと京成電鉄の軌道をくぐって階段で上る地蔵坂のアプローチと、道灌山通りの改札から直接線路沿いを上る間の坂のアプローチがあるが、個人的には地蔵坂のアプローチが好みである。改札口の標高は4mなのに対して境内の標高は21mで17mの高低差がある。この段差は海食崖によるものである。

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本殿にお詣りをして右手に回り込むと、庚申燈籠の残骸が並べられている。元々は一対の庚申燈籠で、それぞれ宝珠、請花、笠、笠台、竿、基礎、基壇という構造だったが、パーツを調べてみるとすべて残っている。しかし、竿の片方分が3つくらいに割れていて文字の解読が不可能になっていた。向かって一番右にある石柱(竿)は比較的形を留めており、「奉供養庚申為二世安楽敬白」と元禄14年(1701)11月の年紀が読み取れる。しかし片方の元禄12年(1699)10月の方の竿は読み取れなかった。

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形を残している方の竿には「新堀村同行十人」という文字も読める。二基の庚申燈籠は去る2011年の東日本大震災で倒壊し壊れてしまったという。残念なことだ。

諏方神社は「おすわさま」と呼ばれて日暮里村(新堀村)、谷中町の鎮守として庶民に親しまれてきた。鎌倉時代初期の元久2年(1205)の創建、豊島氏(豊島経康)が諏訪の大社から勧請し、太田道灌にも保護され、江戸時代は徳川家にも守られて今に至る。現在地に社殿が出来たのは寛永12年(1635)で、日暮の里(ひぐらしのさと)として江戸の有名な景勝地だった。今でもビルは林立しているが、そこそこの眺めである。

なお「諏訪」とせず、「諏方」と使っているのは古来の表記であり、かつては神社名には、この方が多かった。現在は全国で一万有余あるうち、三~四社のみになったとのこと。本社では所有する元禄時代の軸に、「諏方大明神」と記されている。よって、「諏方神社」 の社名を続けている。(荒川区の資料より)

場所  荒川区西日暮里3丁目4-8

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