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2021年8月29日 (日)

昇覚寺の石仏(江戸川区東葛西)

江戸川区東葛西、明治時代の地名は葛西村東宇喜田中割にある寺院が真言宗の昇覚寺。寛文12年(1672)に没した僧邵値(しょうち)の開山と伝えられ、寛永15年(1638)が創建年とも言われる。山門前には石橋もあり、古くから東宇喜田の中心だったことが感じられる。

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山門をくぐると左に墓所、正面に本堂、右に鐘楼がある。この鐘楼は天明年間(1781~1788)の建立とされ、梵鐘は天明5年(1785)の鋳造である。昇覚寺はもともと尼寺で、近郊の信者から櫛やかんざしの寄進を受けてこれを鐘に鋳込んだと伝えられる。その音はなかなか素晴らしいらしい。

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鐘楼の脇には十九夜塔や小堂が並んでいる。鐘楼の前には説明板があり、大工は二之江村の加藤茂七とある。200年が経過し昭和59年(1984)に復元再構築された。その折に地下の基礎が発見され、低湿地帯でも建築物を安全に支え沈下を防ぐ仕掛けが巡らしてあったのが見つかった。地下に松の杭を打ち込んでいるもので、これは日本で初めて開通した新橋横浜間の鉄道工事に東海道の波打ち際で行われた基礎工事と似ている。中世の建築技術おそるべしである。

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鐘楼脇の十九夜女人講中の如意輪観音半跏像も見事な石仏である。造立年は寛政10年(1798)2月で、片膝を立てた如意輪観音像の造形が素晴らしい。蓮台の下には空想上の動物などが描かれており、その下に大きな基壇がある。この講中は月待講で十九夜の夜に当番の家に集まり月の出を待つという儀式を行っていたもの。十九夜、二十一夜、二十二夜の主尊は如意輪観音で女人講中が殆どだが、二十三夜塔になると勢至菩薩になり男の講中が多かったりする。

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大きな堂宇の中には地蔵菩薩と庚申塔が祀られていた。施錠されていて格子の間から覗きこむ。庚申塔は駒型で、日月、青面金剛像、邪鬼、三猿、二鶏の図柄。資料によると造立年は寛政10年(1798)2月らしい。

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向かい側の墓所側には大きな五輪塔がある。上から順に、空、風、火、水、地と文字が彫り込んである。重ねものの石塔のうち五輪塔は宝篋印塔と並んで多く作られている。初めは密教系の塔として造られたが後に大きく広まっている。この五輪塔の造立年は明暦2年(1656)6月と江戸時代初期のもので、寺の創建間もない時代のものである。

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五輪塔と山門の間には時代を感じさせる六地蔵が堂宇の中にある。時代は元禄年間の年紀が見られ、東組、西組などの文字が見られる。おそらくは東宇喜田の集落の中の小集団だろうと思う。江戸川区の地名の特徴で▢組、とか▢庭という集落名があり、葛西中割には近年まで西組、東組の組織が残っていたそうである。ちなみに昇覚寺の南にあるバス停は仲町東組という。しっかりと地名が残されている。

場所  江戸川区東葛西7丁目23-17

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