真蔵院雷不動の石仏(江戸川区東葛西)
東葛西の旧江戸川の土手の少し西に真蔵院と雷香取神社が並んでいる。雷香取神社は、邵値阿闍梨が下総の香取大神を勧請して慶安2年(1649)に創建、天保7年(1836)数百メートルほど遷座、旧東宇喜田村雷組の鎮守だった。そして最近の平成2年(1990)に当地へ遷座したので社殿が新しい。特に南側を接する清州大橋通りの工事で真蔵院の境内と共にかなり縮小を強いられたようである。ここは千葉県側との間に橋を架ける計画があるがまだ着手していない。
真蔵院は天文年間(1532~1555)の開山で、雷不動で広く知られている。その入口にゼニゴケ生した大型の庚申塔がある。なかなか立派な庚申塔で、日月、青面金剛像、邪鬼、二童子、四夜叉という極めて珍しい図柄になっている。二童子はまるで不動明王のようである。これは雷不動の影響があるのだろうか。また三猿はなく代わりに四夜叉というのも都内にほとんど例を見ない。造立年は元禄11年(1698)2月で、台石には文化ねん(1805)12月の年紀があり、おそらく庚申講中がこの時期に再建したものと思われる。
その先の境内にある大きな石塔が雷不動明王石造道標と言われるもので、以前は東葛西1丁目48-16にあったものをここに移設した。その場所はここから1.5㎞も北にある新川の東水門近くである。石塔には文政元年(1818)6月の再建であることが刻まれている。北から雷不動に来る人々への案内道標だったが、平成3年(1991)に倒壊した為に修復されて移築された。道標には新川の曳き船の友綱を掛けた跡が残っている。左面には「従是南十三丁」とあるので、1丁=109mで計算すると1417mだからほぼ合っている。
本堂裏手には立派なお堂があり雷不動が祀られている。雷不動は別名波切不動とも呼ばれ江戸時代から親しまれているが、もとは当地の鈴木家が家宝の霊剣を祀る宝殿を建て、天文年間(1532-1554)に創建したのが始まり。鈴木家は平素より不動明王を信仰しており、不動様を当寺に安置したものの、他所へしばしば出亡、また、永禄年間の雷雨の際には霊剣が宝殿から庭に出て雷・悪魔を降伏させた状況の如くであったことからこの不動明王を雷不動・波切り不動と呼ぶようになったと伝えらえる。
堂内に安置されている不動明王は新しいもののように見受けられた。両脇には大きな二童子があり、いかにもお不動様という配置である。なのでこの不動明王よりも新川-の河口から移設した道標の方が史料としては貴重で、上記の石造道標が江戸川区の有形文化財に指定されている。余談だが、雷不動の東側にはかつて北から雷川という用水が流れており、バス停の名前は雷上組とある。ここにも組を付けた地名が残されている。
場所 江戸川区東葛4丁目38-9
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