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2021年8月14日 (土)

浄光寺の石仏(荒川区西日暮里)

法輪山法幢院浄光寺は真言宗の寺院で、隣接する諏方神社の別当寺。創建年代は不詳ながら諏方神社との関係から鎌倉時代初期の開山と言われる。徳川以前からこの海食崖の上に建っていた寺院のひとつで、江戸時代には徳川家にも保護され8代将軍吉宗が鷹狩りの折に将軍御膳所(休憩所)にもなっており、また崖上からの眺望により特に雪景色が素晴らしいというので「雪見寺」の別名がある。

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写真の左は諏方神社入口の鳥居、右は浄光寺の山門で、神社の入口と寺院の入口がこういう形になっているのは珍しい。山門横には駒型の石塔があり「六地蔵三番目」と彫られている。この石塔も寛永2年(1625)6月の年紀が入っており、江戸時代初期から人気の寺院だったようだ。山門をくぐると両脇に沢山の石仏があるが、目立つのは2体の銅製の地蔵。

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江戸には六地蔵というのがあって、品川寺(ほんせんじ)の所でも触れた。左に座像、右に立像の銅製地蔵があるが、六地蔵のひとつは右側の立像の方である。この銅製地蔵立像は元禄4年(1691)の造立。左の銅製地蔵座像は江戸時代の鋳物師西村和泉守という人の創作で文化6年(1809)の造立とある。台座はその4年後に造られたもの。こちらのクオリティもかなり高い。

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銅製地蔵座像と山門の間には7基もの庚申塔が集められている。なかなか壮観である。手前に3基、後に4基あるが、手前の右の角柱型文字塔は宝永5年(1708)11月の造立で、中央には「奉祈庚申諸願成就所」と書かれている。下部には願主名が6人。中央の笠付角柱型の庚申塔は造立年が見当たらない。正面には日月、青面金剛像、二鶏があるが三猿はない。おそらく基壇があってそこに三猿があったのではないだろうか。左右に願主名が13人ほどある。左は駒型の庚申塔で、宝永6年(1709)6月の造立。日月、青面金剛像、二鶏、三猿が描かれている。右下に「橘氏 寛末」とあるのは意味が分からず。

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後の列の左の2基は板碑型。左側は上部に日月、下部に三猿があり、「奉造立庚申供養 施主 敬白」の文字、造立年は延宝2年(1674)9月で庚申講の初期タイプ。右隣りの板碑型は上部の横帯の盛り上がりが特徴的で、寛文10年(1670)8月と造立年は最も古い。同じく上部に日月、下部に三猿があり、「庚申供養為二世安楽也」とあり、最下部には9人の願主名がある。

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後列右側は駒型の庚申塔が並ぶ。左側は宝永5年(1708)6月の造立で、日月、青面金剛像、二鶏三猿の図柄になっている。下部にある願主名はかなり欠損していて読み取れないが12人銘ほどあるようだ。右側の庚申塔は正徳3年(1713)3月の造立。浄光寺の庚申塔の中ではこれでも一番新しいもの。日月、青面金剛像、三猿の図柄で、上部に「奉造立青面金剛」、左右に「講中所願、成就祈所」と書かれている。願主名は下部に15人銘。浄心寺の庚申塔は概ね5代綱吉(1680~1709)、6代家宣(1709~1712)、7代家継(1713~1716)の頃のものが多い。吉宗はその次の将軍である。

場所  荒川区西日暮里3丁目4-3

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