無量寺の石仏(江戸川区篠崎町)
真言宗の金龍山無量寺は平安時代の開山という古い寺院。明治17年(1884)に篠崎の弥陀堂を合併している。弥陀堂以外にも境外仏堂として観音堂と六斎堂があった。今はもうどれもなくなってしまったが、篠崎村の中心的な寺院だったことが分かる。
山門をくぐると正面に本堂、左手に観世音堂がある。観世音堂の脇から墓所に向かう道があるが、その途中にいくつかの石仏が並んでいる。
墓石の聖観音菩薩の先にあるのが、この舟型光背型の地蔵菩薩立像。造立年は万治元年(1658)12月。下の方には無量寺とあるので、江戸時代初期から境内にあったのだろうか。
その先の墓所入口に立っているのがこの笠付角柱型の庚申塔。日月、青面金剛像、二童子、邪鬼、三猿の図柄で青面金剛は左手にショケラを下げる。右側面には、「奉造立庚申像 金龍山無量寺」の銘がある。左側面には年紀があり、造立年は享保9年(1724)2月である。
本堂側に向かうと堂宇があり中に3基の石仏が祀られている。どれも摩滅というかとろけ気味で文字は全く読めない。一番右は笠付角柱型の庚申塔で、青面金剛像と三猿が見て取れるが、造立年等は全く分からない。中央の丸彫地蔵菩薩像もとろけ気味だが、見事に幽霊のように見えるのは左の舟型光背型の聖観音菩薩立像である。この堂宇は上部に「善龍寺(中寺)門前石仏」とあるがその名の寺院はかなり遠くまで行ってもないので何かの間違いだろう。あるは3つの境外堂のどれかをそう呼んでいたという可能性があるかどうか、わからない。
場所 江戸川区篠崎町3丁目5-15
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