中台の子安地蔵(板橋区中台)
中台の地名の由来は志村城から見て、前野原と西台の中間に見える台地ということで中台となったというのが定説。中台の東南には前野川が流れて谷を形成していた。この谷から中台の台地に上るのが閻魔坂。この閻魔坂を横切り志村城方面に繋がる道の台地上の辻に石仏が祀られている。この道はかつては富士大山詣での人々が往来していた村街道。その為か、ここの石仏は道標を兼ねている。
一番右の屋根付の場所は子安地蔵。丸彫の地蔵尊で臼をわざと被せたかのような笠を載せている。別名「笠懸地蔵」とも呼ばれ、造立年は天明4年(1784)とある。講中はなんと94人とかなりの大所帯。台石脇には「右 練馬道五町」「左 下板橋道」とある。
地蔵の左に並ぶのが、駒型の馬頭観世音菩薩。珍しいのはひざ元に二童子を従えている点で、もしかしたら大山詣での人々向けに不動尊の二童子を模して造られたものだろうか。造立年は寛政2年(1800)11月。右側面には「祢りま道 大山道」、左側面には「左 江戸道」とある。また「東叡山御領武刕豊嶋郡中臺村」とあるが中台村はかつて上野寛永寺の領地だったのだろうか。
一番左は駒型の庚申塔である。造立年は嘉永5年(1852)2月。青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄で、尊像は左手にショケラを下げている。右側面には「西 ふじ大山練馬道」、左側面には「南 いたばし前野道」と刻まれている。三猿は本体ではなく台石の正面に陽刻されている。この辻の道筋は江戸時代から変わっていない。ここにある石仏たちは200年以上もの間、通り過ぎる人々に拝まれてきたのだろう。
場所 板橋区中台1丁目48-11
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