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2021年10月 3日 (日)

豊田神社と富士講と石仏(江戸川区東瑞江)

豊田神社は江戸川区東瑞江にある神社で創建年代は不詳、その昔下鎌田村には香取社、神明社、山王社があり、長寿院が別当寺となっていたという。明治初年の廃仏毀釈の頃長寿院が廃寺となり、そこに豊田神社が遷座した。その時に他の神社も合祀したようだ。

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豊田神社の境内には古い樹木が複数あり「豊田神社の社叢(しゃそう)」として保護されている。その中でも上の写真のケヤキは見事な巨樹で江戸川区の天然記念物に指定されている。樹齢は200年と言われ、幹径150㎝(幹回り5m)、樹高は23mという巨樹である。昔はこの御神木の傍に池があったらしいが現在は痕跡もない。

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社殿左手には3mほどの高さの富士塚があり、「下鎌田の富士塚」と呼ばれている。200年以上の歴史を持つ富士講「下鎌田割菱八行講」によって大正5年(1916)に築造された。江戸川区には富士塚が多い。12区内の富士塚はおよそ120ほどだが、1割が江戸川区にある。

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神社の境内から隣の公園に向かうと境内の一画に不動堂があり、お堂の前にいくつかの石仏(石塔)が祀られている。いちばん左にぽつんとある角柱はどこかで見たことがあると思ったら、安養寺にあったものとそっくりである。「南葛新四国八十八ヶ所 札所第31番」とあるが、この31番は明治初期に廃寺になったという長寿院。しかし南葛新四国八十八ヶ所を開いた東京弘山講では豊田神社をそのまま札所にしてしまったようである。石塔に刻まれた年号が、明治43年(1910)12月で廃寺から40年も後の造立だけにいささか混乱した。

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その先にあるのが3基の石塔と地蔵堂。一番左の石塔は摩滅してほとんど文字が読めないが敷石供養塔のようである。真ん中は馬頭観世音菩薩で安永3年(1774)9月の年紀が入っている。右の背の高い駒型の石仏はほぼ剥離してしまっており全くの不詳である。ちなみに地蔵堂の地蔵は見た感じそれほど古くはない様子だが、前掛けをめくってみたものの読み取れなかった。それでも江戸時代後期くらいに遡るかもしれない。

場所  江戸川区東瑞江1丁目18-1

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