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2021年11月 2日 (火)

磨墨塚の石仏(大田区南馬込)

臼田坂上にある磨墨塚(するすみづか)の言い伝えは、「磨墨(するすみ)は源頼朝の家臣梶原景季(かげすえ)の愛馬で、平家物語で有名な宇治川の合戦で先陣を争った名馬である。その磨墨の亡骸をこの場所に埋めたという言い伝えがあり、明治33年(1900)に馬込村の有志がここに塚を築き石碑を立てた。」と説明板に記されている。磨墨伝説は全国各地に残っており、真偽のほどはかなり怪しい。

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塚の上には中央に明治33年(1900)8月に建てられた磨墨塚碑がある。似たような自然石を使った石碑が左にもあるが、そちらは明治3年(1870)5月に建立された道標である。「午の方 阿ふみの谷 子の方 駒落之谷」とあり磨墨塚の補足説明のようなものだが、もしかしたら塚の築造以前に立てられていたものかもしれない。

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右にあるのは駒型の庚申塔。造立年は享保5年(1720)11月。日月、青面金剛像、三猿の図柄で、「奉供養庚申」と横にあり、下部には願主名と並んで、「武蔵馬込邑平張谷」と刻まれている。願主名は9名中4名が加藤姓である。平張谷はどのあたりだろうかと調べてみると、明治時代のこの辺りの小字が平張で、地形としては東にある馬込二小にかけての200mほどの短い谷あいから尾根筋の磨墨塚辺りのことを平張と言ったらしい。磨墨塚は萬福寺の管理になっているが、その万福寺は塚から見て北にある谷の向こう側の斜面にある寺院である。

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磨墨塚の裏側には角柱型の馬頭観世音菩薩がある。造立年は大正元年(1912)10月。施主名は剥離していて読めない。時代から見て磨墨塚の馬に寄せて、当時の運搬の担い手であった牛馬の供養を目的に建立されたものだろう。

場所  大田区南馬込3丁目18-21 磨墨塚

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