« 長遠寺の石仏(1)(大田区南馬込) | トップページ | 赤塚新町川越街道の庚申塔(板橋区赤塚新町) »

2021年11月11日 (木)

長遠寺の石仏(2)(大田区南馬込)

長遠寺の参道の左手には手水舎がありその周りにはいくつもの石仏が並んでいる。日本の民俗信仰の面白いところは、同じ場所同じ村人で庚申講があり念仏講、地蔵講があり、その中には富士講に参加している人もいて、そのダイバーシティが心豊かな日本の文化という気がしてならないのである。

Cimg3553

上の写真の右の笠付角柱型の石塔は観音霊場供養塔。造立年は安永3年(1774)2月。正面上部には大日如来坐像があり、「奉順禮秩父、坂東、西國供養塔」と書かれている。右側面には「武刕馬込村住人」、左面には「現當二世安楽所」とある。中央の舟型光背型の石仏も大日如来像のようである。造立年は安政10年(1798)3月。右の大日如来が智拳印という忍者のどろんぱみたいな印相(手の形)なのに、こちらは法界定印という印相。詳しくは知らないが、金剛界大日如来は智拳印で胎蔵界大日如来は法界定印らしい。左の小さな地蔵半跏像は元禄8年(1695)のもので顔が欠損している。

Cimg3556

その左にある背の高い丸彫地蔵菩薩立像は子育地蔵。天保12年(1841)7月の造立。よこの地蔵半跏像は台石に「弥勒地蔵大菩薩」とあり、天保10年(1839)2月のものである。天保といえば天保の大飢饉が想起されるが、そういう時代を背景とした子育地蔵なのだろうか。左端は新しいもののようである。

Cimg3558

その先にあったのが聖観音菩薩立像。顔が比較的きれいだと思ったら、昭和51年(1976)の大田区の史料を見ると顔欠になっている。それ以降に修復されたのだろう。造立年は享保13年(1728)11月で、奉供養 秩父坂東西国順禮とあるので巡礼供養塔である。右側面には「武刕荏原郡馬込村」の銘に加え、その下の台石には多くの願主名が彫られている。

Cimg3570

六地蔵はかなり最近のものなので特に取り上げないが、六地蔵堂の裏には古い水鉢があった。元禄9年(1696)のもののようである。こういうものもきちんと残されているのはいいと思う。

Cimg3572_20211102133901

もう一基の手水鉢。こちらは文久3年(1863)9月のものである。上の手水鉢からは160年余り後のもの。お寺にはいろいろな形の奉納物がある。前述の西国坂東秩父の巡礼供養塔については、観音信仰によるもので、観世音菩薩は33の化身を行って道を説くと言われ、そこから三十三ヶ所の観音霊場を廻る風習が生まれた。室町時代には紀伊国から美濃国の西国三十三ヶ所、相模国から安房国の坂東三十三ヶ所、そして一番こじんまりとまとまった秩父三十三ヶ所に加えて一寺で百箇所巡礼が固まった。これらをすべて順礼するとその記念に建てるのである。

場所  大田区南馬込5丁目2-10

|

« 長遠寺の石仏(1)(大田区南馬込) | トップページ | 赤塚新町川越街道の庚申塔(板橋区赤塚新町) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 長遠寺の石仏(1)(大田区南馬込) | トップページ | 赤塚新町川越街道の庚申塔(板橋区赤塚新町) »