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2021年11月 7日 (日)

萬福寺の庚申石仏(大田区南馬込)

慈眼山無量院萬福寺は曹洞宗寺院で、建久年間(1190~1199)大井丸山の地に密教寺院として創建。元応2年(1320)に焼失し、現在の寺の場所は鎌倉幕府に大井村を領地として与えられた梶原氏築城の平山城だった場所だが、この地に梶原景嗣によって再興した。荏原台の丘陵の突端に築かれた城で、三方が斜面になっていて、南側の谷は深くそこに南坂という坂があったという説もあるが、寺の境内そのものが低地から台地上までを含めているので坂の同定はできていない。境内図によると山門と上の門の間が男坂、右の狭い階段が女坂とはあった。

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階段を上り山門をくぐる。その先の階段をまた上り無量門をくぐると本堂の高さの境内に至る。右手に魔尼輪堂がありその崖側に六地蔵、その前を進むと崖ぎりぎりのところに宝篋印塔が立っている。この宝篋印塔は日待供養塔とある。説明板によると寛永15年(1638)11月に馬込村の村人によって建立されたという。

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元は中馬込3丁目25番地付近の梶原塚と呼ばれたところに建てられたが昭和30年頃寺の境内に移されたというから富士講燈籠の近くだろうか。馬込地区では大正時代まで日待ちの習慣が続いていたらしい。「武刕▢▢荘荏原郡 馬込佳谷」とある。

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その隣に立つのが、舟型光背型の六地蔵念仏供養塔。造立年は分からない。一石に二段に6体の地蔵を陽刻する。区の史料では18世紀初頭と推定している。上部中央には「関東道武蔵國荏原郡馬込江」「奉造立六地蔵尊像」と書かれており、その右には「施主念佛供養之衆男女▢▢」とある。左側のもじは薄くなっていて読めない。

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鐘楼門の両脇にあったのが対の燈籠。谷に向かって立って右側の燈籠の竿部には観音立像がある。造立年は寛文元年(1661)で、施主は馬込村仲居里北村七左衛門。左側の燈籠の造立年は寛文10年(1670)11月で、竿部の尊像は阿弥陀如来である。この燈籠は馬込村の庚申講中が建てたものとされている。「坂東武蔵國荏原郡馬込村」「男子拾人宿念庚申爲供養奉待受」などの文字が見られる。

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庚申燈籠の脇にあったのが板碑で、上部に日月があり、どうも庚申板碑らしいが造立年などは不詳。秩父石を使っているところからすると江戸時代以前かもしれない。というのも寺には他に50基ほどの板碑が保存されているそうで、それらは現在の地に移転する前の大井村にあった頃、真言宗時代に造立されたというからである。まあ、これらの石仏も素晴らしいが、萬福寺は建物も楽しみたい。鐘楼門も素晴らしいし、魔尼輪堂、本堂も素晴らしい。

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女坂を下り山門に戻ると山門の脇にある磨墨の像を再び眺める。説明板によると、その昔馬込一帯は丘陵台地で馬の放牧が盛んだった。名馬「磨墨」はその馬込産の馬だったと言われ、その関係でこの地に葬られたとある。さすがに時代も鎌倉時代になると、どこまでが史実でどこからが後付けの話なのかが分からない。

場所  大田区南馬込1丁目49-1

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