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2021年12月16日 (木)

下尾久石尊(荒川区東尾久)

大門通りの西には石門通りという名の古い道がある。江戸時代はこの通り沿いに用水路が流れていた。この水路は下尾久村と上尾久村の村境でもあった。石門通りの由来は分からないが、南の端の都電荒川線脇の通りへの入口の両脇に石門があり「石門通り商工会」と書かれている。北の端の北豊嶋中学校とセブンイレブンの間にもずっと大きな「石門通り商工会」と書かれた対の石門があったが2015年頃に撤去された。

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この石門通り、明治時代はまだ用水路だけで、通りはもっと大門通りよりを走っていた。その途中にあるのが下尾久石尊である。元々は阿遮院持ちの地蔵堂で、文字通り石神を祀る社だった。堂内には不動明王像などもあるが、主尊は両側の白い大きな岩である。

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暦應年間(1338~1342)、頻発する地震に村人が不思議に思ってこの場所にやってくると、地面から2尺余りにょきっと大きな岩が出現していた。異形な石が生えていたという風に語っている。これを石神と崇め、祈るようになったのが下尾久石尊の始まりらしい。この石神を祀る講中は出世講と呼び、現在も続いていると書かれている。

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堂宇の左には板碑型の庚申塔がある。残念ながらゴミ捨て場のネットが無造作に置かれていて不遜であった。庚申塔は上部に日月が刻まれ、「奉供養庚申講為二世安楽也」と書かれている。下部には願主12人の銘がある。造立年は元禄11年(1698)11月。しかし庚申塔がゴミ置き場になっているのは悲しい。

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堂宇の右手にはひときわ大きな供養塔が立っている。上部に日月が陽刻されているが、湯殿山、月山、羽黒山の三社供養塔とある。造立年は明治14年(1881)7月。基壇には「講中」と大きく書かれ、当村講中、上尾久村、下尾久村、町屋村、三河嶌の銘がある。下尾久石尊に集まるその他の石仏石塔は、石尊そのものへの信仰が深いからだろうと思われる。

場所  荒川区東尾久6丁目31-2

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