華蔵院の石仏(荒川区東尾久)
華蔵院(けぞういん)は隅田川尾久橋の少し西にある真言宗の寺院。創立年代は不詳で、室町末期から江戸時代初期辺りの開山と言われる。江戸末期には寺子屋が開かれ、明治になってからは小学校を開くなど、教育現場になってきた歴史がある。
立派な山門をくぐると正面には本堂があり、左手に墓所が広がっている。沢山の石仏石塔があり、大型の宝篋印塔や五輪塔なども複数あって壮観である。本堂手前には五輪塔を中心に、卵塔がならんでいるが、その卵塔と対を成すように左側に角柱が立っている。
もとは地中深く埋まっていたのを引き出したのか下部が整えられていない。この角柱は庚申塔で、造立年は享保9年(1724)11月。正面には「奉庚申供養九橋講中二世安樂祈所」とある。九橋というのはいったい何だろうかと考える。横には「武州豊嶋郡上尾久村」とある。裏には「此地内永代田端村から▢▢より為請取此書印仕候もの也」とあるが九橋の意味は分からない。
この手前には手水鉢があり「當村東講中」とある。どんな講中だろうか。向こう側には安永7年(1778)11月の年季が入っている。手水鉢もじっくり見ると面白い。
近くにあったのは珍しいタイプの馬頭観音菩薩。 頭上にくっきりとした馬頭が載り、三面六臂の姿にやさしい顔。馬頭の馬の顔も笑っているように見える。年紀などは書かれていないのか消えてしまったのか分からない。
こちらは同定できなかった石仏で、蓮花を持つ観音の様子なのだが18本の手がある。年紀も不明なら像の正体も私にはわからない。しかし不思議な魅力を醸し出している。
その先には自然石の片面を磨いた馬頭観世音菩薩。正面部分の石色が違うのは色付けしてあるのだろうか。年紀は不明。墓石でない石仏が次から次へと見つかって楽しめる。
本堂の右手に行ってみると、織部燈籠らしきものがあった。いわゆるキリシタン燈籠である。意外とキリシタン燈籠はあちこちで見つけることができる。寺院の燈籠にキリスト教の象徴を持ち込む日本文化の柔軟性が産んだもの。年紀等は刻まれていないが、江戸時代のものであることは間違いないだろう。
場所 荒川区東尾久8丁目46-2
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