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2021年12月10日 (金)

巣鴨庚申堂(豊島区巣鴨)

巣鴨地蔵通りは文字通り高岩寺のとげぬき地蔵に由来する通り名であるが、もともとはこの通りは五街道のひとつ中山道である。江戸から出る時、江戸に入る時、身支度を整える目的で立寄る宿場的な街があり、東海道であれば品川宿、甲州街道は追分新宿、奥州街道(日光街道)は千住、そして中山道は板橋宿だった。巣鴨の位置は第一宿の板橋と日本橋の中間で旅の人も江戸の人も気軽に行けただろう。

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巣鴨地蔵通りの北の端は都電庚申塚駅の手前の猿田彦大神を祀る巣鴨庚申堂である。小さなお堂だがひっきりなしに参詣者が訪れる。入口脇には庚申塔造立五百年とあるが、由来は古い庚申塔にある。かつて祀られていたのは文亀2年(1502)銘で2mを超える庚申塔で、明暦の大火で当たりが焼け野原になった時に新たに造られた石塔(庚申塔)を現在は祀っているようだ。

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庚申堂は道路よりも1mほど高くなっており、ここが塚であったことが想像できる。階段脇には三猿の基壇に乗った御幣猿の像が対で並んでいる。基壇の裏を見ると、昭和62年(1987)2月に浅草の水野氏が奉納したものらしい。明暦3年(1653)の庚申塔は奥の堂宇の中に祀られているが、扉が閉ざされており拝見できない。

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資料によると堂内にあるのは、明暦3年(1657)3月造立の板碑型の庚申塔で、「奉造立石塔一基庚申現當二世攸」とあるようだ。正面には20人の願主名が刻まれている。由来碑に江戸時代の紀行文『遊歴雑記』が引用されている。

「武州豊嶋郡巣鴨庚申塚は江戸より板橋の駅に入る立場なり。よしず囲いの茶店あり、団子茶屋と称す。(中略)文亀2年に塔を建立、高さ八尺なり。然るに明暦3年正月、世に言う振袖火事の大火起こり、江戸市中九分通りを焼き払う。(中略)たまたま当庚申堂塔に立懸けたる竹木倒れ石碑四つ五つに砕けたり。故に村中相議し丈を縮めて今の塔を再建し、文亀2年の碑を塚の下に埋めたり(後略)」

場所  豊島区巣鴨4丁目35-2

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