« 慈眼寺の石仏(荒川区町屋) | トップページ | 大門通りの子育地蔵尊(荒川区東尾久) »

2021年12月14日 (火)

満光寺の石仏(荒川区東尾久)

都電荒川線町屋二丁目駅と東尾久三丁目駅の間にある満光寺は、江戸時代の初期に天台宗から浄土宗に改宗し、かつ上野からこの地に移転してきた。創建は室町時代と言われ、もとは上野二葉村にあったという。二葉村は二葉郷広沢村ともいい、現在の上野駅の近くだったが、寛永寺が大伽藍を築くにあたり追い出されたようだ。二葉村はその後坂本村(坂本町)となったがそれは比叡山を真似て東叡山寛永寺を築いた折に比叡山の坂本を模して坂本村としたという経緯。

Cimg4003

山門は派手な造りで、その左脇の塀に築かれているのが二葉地蔵尊。これはおそらく上野二葉村時代に由来するものだろうと覗いてみたが、最近の造立らしく子育地蔵の座像が2体あるだけであった。

Cimg4005_20211206115801

山門をくぐり、左に回り込むと数体の石仏が並んでいる。右の端にあったのが舟型光背型の地蔵菩薩立像。ただこの地蔵は庚申講中によるもので、光背には日月が刻されている。「奉造立地蔵菩薩庚申供養為講中二世安楽也」と書かれており、造立年は正徳3年(1713)10月。首の部分が斜めに折れた痕跡があるが補修してある。

Cimg4021

隣の板碑型の石仏も庚申塔である。古寺時代のもので造立年は承応3年(1654)2月8日。旧暦の2月8日は現代の正月だから年始に建てられたもの。中央には「奉待庚申三箇年二世安楽處」と書かれており、願主14人の名前が刻まれている。

Cimg4018

その隣には丸彫の地蔵菩薩立像がある。左腕の袖には寛延元年(1748)10月の造立年があり、施主名正本某の名がある。本寺院の創建に至っては開基を上野二葉村の名主二葉和泉守としている。二葉家ゆかりの寺院でもあるようだ。上記石仏の他に6基の室町時代の板碑もあるらしいが開示はされていなかった。

場所  荒川区東尾久3丁目2-4

|

« 慈眼寺の石仏(荒川区町屋) | トップページ | 大門通りの子育地蔵尊(荒川区東尾久) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 慈眼寺の石仏(荒川区町屋) | トップページ | 大門通りの子育地蔵尊(荒川区東尾久) »