善養寺の石仏(豊島区西巣鴨)
西巣鴨にある善養寺は天長年間(824~833)に慈覚大師が上野の山に創立した天台宗の寺院というのが寺伝。真偽は分からないが、江戸時代寛文年間(1661~1672)に下谷坂本(後の下谷善養寺町)に移転、境内が鉄道の用地になるということで明治45年(1912)に現在の地に移った。当時の地番が北豊嶋郡巣鴨村大字巣鴨字庚申塚347番地。
本堂の前の植込みに古そうな庚申塔がある。目立つのは下部の陰刻された三猿。上部には日月があるが、中央は文字で「奉待受庚申供養所願成就攸」と書かれている。願主は51名とかなり多い。造立年は延宝8年(1680)9月とかなり古い部類である。塔型は迷ったが、しいて言えば駒型に近い。
寺院の説明板に境内には寛永6年(1629)の燈籠があると書かれていたが、境内には燈籠が3基ありどれがそれなのかわからなかった。上の塀沿いの対になったものは古そうだが、同時期の寛永寺の石燈籠に近いデザインは1基のみのほうである。もっと細かく観察すべきだった。
また墓所入口辺りにある宝篋印塔も立派で、造立年は天明8年(1788)5月とある。江戸時代は東叡山寛永寺の末寺であったが、明治45年までの場所は上野駅から鶯谷駅に向かうカーブの鉄道が走っている線路内にあたり、現在は東北・上越・信越・北陸新幹線、東北本線、常磐線、高崎線、上野東京ライン、山手線、京浜東北線とほぼフルスペック。江戸時代の切絵図には善養寺が描かれている。
場所 豊島区西巣鴨4丁目8-25
| 固定リンク
コメント