大門通りの子育地蔵尊(荒川区東尾久)
都電東尾久三丁目駅からくねくねと曲がりながら北に向かう通りを大門通りという。途中に大門湯という銭湯がある。そのまま北に進むと新しい尾久の原防災通りに出てやがて大門小学校に至る。都電荒川線は大正時代からあり、関東大震災以前からの電停名は下尾久であった。昔、この辺りの地域を大門村と呼んでいたらしい。
大門湯と防災通りの間に数坪の境内をもつ子育地蔵堂がある。玉垣には昭和10年(1935)9月という年紀と「阿遮院地蔵講一同」という文字が彫り込まれている。阿遮院は尾久三丁目駅の南にある真言宗の寺院で尾久では最古の寺院と伝えられる。現在は都電で地域が区切られているように見えるが、昔は一体で大門村だったのだろう。
堂内には丸彫の地蔵立像と舟型の小さな地蔵があった。造立年は不明だが、堂内の板書には大正13年(1924)7月、石神子育地蔵尊とあった。しかし江戸時代の切絵図を見るとここには既に地蔵堂が存在しており、ずっと古いものではないかと思われる。
場所 荒川区東尾久6丁目12-25
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