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2021年12月 4日 (土)

本妙寺の石仏(豊島区巣鴨)

江戸の大火といえば、明暦3年(1657)の明暦の大火、明和9年(1772)の目黒行人坂の大火、文化3年(1806)の文化の大火を三大大火というがそれ以外にも大火事は数知れず。その中でも明暦の大火は江戸城を焼き尽くし、10万人以上の死者を出したことで史上最大級の火災であった。明暦の大火はまず1月18日に当時本郷丸山にあった本妙寺から出火(とされているが真偽不明)、翌日には小石川伝通院前と麹町からも火が起こった。この時の主役と言い伝えられているのがこの本妙寺である。

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本妙寺は山門に「徳栄山」とあるように徳川家の繁栄を祈願した寺院で、元亀2年(1571)に駿府浜松に創建、徳川の引越しに追従して天正18年(1590)に江戸清水御門内に移転、その後幾度か引越し本郷に落ち着いたところで明暦の大火となった。しかし特にお咎めを受けたということもなく、実は老中阿部家の屋敷が出火元だったのを罪を被ったとかいろいろな説がある。巣鴨のこの地に越してきたのは明治44年(1911)とさほど昔ではない。

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本堂裏手には明暦の大火の供養塔がある。写真の右側の板碑型の供養塔である。中央に「妙法蓮華経」、右に「一葉所感焼死群類(焦)」、左には明暦の大火があった明暦3年正月18日、19日とある。その隣の釈迦如来坐像も明暦の大火の供養塔らしい。左の無縫塔(卵塔)は安政の大地震の供養塔である。

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墓所へ赴くと遠山金四郎景元(遠山左衛門尉景元)の墓(五輪塔)で、没年は安政2年(1855)2月だから日米和親条約よりも後で意外に近代に近い。安政の大地震が起こったのはその年(1855)の10月である。この後井伊直弼が大老となり、安政の大獄が起こるが、時代は開国への道を進むのである。右の自然石はそれよりも前の天保13年(1842)のもののようだ。ちょっと混乱しているのは左の五輪塔の下に3段の基壇があるのだが、そこに嘉永7年(1854)12月建之とある。没年よりも2ヶ月前のものということになり、辻褄が合わない。

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その先には剣豪千葉周作の墓もあった。北辰一刀流の開祖で千葉道場の主である。千葉周作の没年も安政2年(1855)と同じだが12月なので、10月の安政の大地震は体験していることになる。本妙寺は日蓮宗の寺院なので民間信仰の石仏はほとんど見かけなかったが、面白いものがいくつもあって楽しめた。

場所  豊島区巣鴨5丁目35-6

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