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2021年12月23日 (木)

福性寺境内の石仏(北区堀船)

堀船という地名は梶原堀之内村と船方村(舩方村)の合併によって出来た地名であり、梶原は太田道灌の孫である梶原政景の邸及び墳墓があったことから来た地名である。梶原氏の屋敷があったのは現在の王子ポンプ所の辺りの隅田川河畔で、江戸時代中期の享保年間(1716~1736)まではそこに梶原塚という墳墓があって多くの石仏石塔が立っていたが、洪水によって崩れ流された。その後村人が修復をしていたが、やがて石仏石塔は福性寺へ移されたという。

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エキゾチックな八角堂の乗った本堂が特徴の福正寺には多くの石仏石塔があり、その中の一部しか紹介できない。山門をくぐると正面にこの本堂があり、その為左のひときわ高いのが舟型光背型の聖観音立像。これは梶原を領地にしていた水野家(愛宕地蔵尊にも登場)の水野藤右衛門の長男信定の墓石で、造立年は延宝8年(1680)8月と刻まれている。

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とても大きな聖観音菩薩で彫りの質も極めて高い。水野家は鷹匠でもあったようで、旗本の中でも有力者だったと思われる。寺の情報では水野家の菩提寺は本駒込の吉祥寺(武蔵野市吉祥寺のもとになった寺院)だが、この寺に埋葬された理由は分からない。

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本堂向かって右には涅槃像があるがこれは新しい。その手前には梶原塚から移設されたという石仏や宝篋印塔があり、その中にひときわ目立つ素晴らしい庚申塔がある。この一帯を梶原塚と呼んでいるようだ。舟型光背型の庚申塔は、日月、三面の青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿が陽刻されており、おそらくショケラを持ってたであろう左手部分は欠損している。造立年は享保3年(1718)12月で、造立後まもなく洪水にあったのだろうか。尊像右には「奉供養庚申爲二世安樂也」とあり、基壇には「豊嶋 梶原堀之内村 願主 拾四人 巣鴨村 ▢▢」とある。

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山門迄戻ると、山門脇に六面幢地蔵があり、その脇にある3基の石仏が存在感を醸し出している。六面幢は明治30年(1897)3月の造立で、願主久保田林造、大工(石工)吉五郎の銘がある。明治期の石仏は廃仏毀釈のためか質の悪いものが多いがこれは立派なものである。

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六面幢の左にあるのは舟型光背型の地蔵菩薩立像で、天和2年(1682)9月の造立。尊像右には「奉供養庚申二世安樂処也法主敬白」とあり、左の年紀の下には「武刕豊嶋郡梶原堀内村」の銘がある。

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六面幢の右側には前後2基の石仏がある。手前の舟型光背型の地蔵菩薩立像は元禄10年(1697)2月の造立。右上に「奉造立地蔵尊庚申供養祈所講中」とあり、左の年紀の下には「結衆敬白十四人」と刻まれている。後ろに並ぶようにくっついている舟型光背型の聖観音菩薩立像もまた庚申塔で、「奉造立庚申待講中二世安樂所敬白」と書かれている。造立年は元禄元年(1688)10月と古いもの。「堀之内村十三人」という願主も刻まれている。

場所  北区堀船3丁目10-16

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