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2021年12月24日 (金)

延命寺の石仏(北区堀船)

舩方山地蔵院延命寺は真言宗寺院で、応永年間(1394~1428)に小橋(北区西尾久6丁目)に創建した。延宝6年(1678)に十二天社(現在の船方神社)の別当となり現在地に移転した。小橋というのは現在のあらかわ遊園あたりで、今も地元には小橋町会という町内会が残っている。

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創建された応永年間は室町幕府全盛期で足利義満を継いで足利義持が将軍だった時代。南北朝時代が終わり天皇家が一本になったすぐ後の時代である。本堂に入ると左手に石仏が多数並んでいる。手前の真新しい石塔には、「西国三十三番、坂東三十三番、秩父三十四番、観音霊場」と刻まれている。

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中央にある五輪塔を中心にその左にあるのが貞享3年(1686)霜月(11月)造立の聖観音像で、「奉供養念佛二世安樂也」とある。おそらくは念仏講によって建立されたものだろう。

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なかなか質の高い聖観音像だが、右側にある庚申塔もなかなかのものである。シンプルな駒型だが上部に大きな日月が陽刻され、下部には三猿が彫り込まれている。

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間の文字は「奉供養庚申講中當所安穏処」とあり、脇に正徳2年(1712)10月の年紀と、武刕豊嶋郡舟方村の銘がある。側面には願主名が8名ほど刻まれているが苗字はなく理左衛門、惣兵衛などの名前であった。

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庚申塔の右には、駒型の如意輪観音像。これは墓石で、宝暦3年(1753)12月と、宝暦12年(1762)10月の命日が見られる。右の舟型光背型の小柄な聖観音像も墓石で、こちらは正徳2年(1712)5月の年紀が入っていた。

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西の墓所の入口には立派な宝篋印塔が立っていた。造立年は享保11年(1726)6月。武刕豊嶋郡舩方村の銘がある。明治以前は舩=船で、私の知り合いにも船木さんだけでなく舩木さんもいて、長い間日本では特に深い区別なく使われて来たらしい。

場所  北区堀船4丁目10-12

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