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2021年12月27日 (月)

大林院の石仏(荒川区西尾久)

都電荒川線の宮ノ前駅の前には八幡神社がありそれで宮ノ前という駅名になっているのだが、この八幡神社の北側には大林院という寺院がある。曹洞宗の寺院で寛永20年(1643)に三田の功雲寺内に開山。現在の西尾久の場所には願勝寺があったが明治になって廃寺となり、その跡地に三田から移転してきたというちょっと変わった経緯である。

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三田の聖坂と国道1号線の間の斜面一帯は江戸時代数十の寺院が集まっており、功雲寺はその中でも最大の寺院で現在の都立三田中学校と普連土学園の敷地がすべて功雲寺だった。その中に大林院もあったわけである。一方の廃寺となった願勝寺は江戸時代八幡社の別当寺として江戸時代にあった八幡堀用水を挟んで広い境内を持っていたようだ。

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本堂手前には真新しい高王白衣観音があり、その前に地蔵と聖観音像がある。白衣観音は平成14年(2002)のピカピカのものだが、手前の舟型の地蔵菩薩立像は寛文11年(1671)6月の造立と古い。右の舟型の聖観音像も造立年は正徳2年(1712)1月と古いものだが、どちらも墓石と思われる。

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白衣観音の脇には時代物の石仏が多数並んでいる。上の写真の左端は享保7年(1712)1月造立の笠付角柱型庚申塔。日月、青面金剛像、2鶏、邪鬼、3猿が陽刻されており、右側には「奉造立庚申供養為現當也」とあり、左側には「武州豊嶋郡上尾久村」の銘がある。二番目の少し大きな笠付角柱型の庚申塔は正徳3年(1713)11月の造立。日月、青面金剛像、二鶏、邪鬼、三猿が描かれており、右側面の文字は同じく「奉造立庚申供養為現當也」、左側面の「武州豊嶋郡上尾久村」の銘も同じである。これらは願勝寺から受け継がれたものとされている。三番目は舟型聖観音像だがこれは六十六部供養塔、明和3年(1766)8月の造立。その右にも不動明王像、地蔵、さらに不動明王像と並んでいる。

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向かい側には黒っぽい石材の聖観音像で元禄3年(1690)8月の造立、右の白っぽい石材の如意輪観音像は宝永2年(1705)6月造立のもので、これらはどちらも墓石。江戸時代にはこういう素晴らしい墓石が沢山造られている。なお大林院には正和5年(1316)の板碑もあるようだが、訪問時は見つからなかった。

場所  荒川区西尾久3丁目9-5

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