恵明寺(えみょうじ)の創建年代は不詳ながら、1650年頃(慶安年間)には既に大きな寺院だったという。また小台の七庚申の中で最も古い承応3年(1654)の板碑型庚申塔には「法王恵明寺」という文字がある。江戸時代には荒川はなく、小台七庚申があったのは荒川となった地域で、恵明寺の檀家エリアだったとしても違和感はない。

また恵明寺は江戸六阿弥陀の第二番だが、元々は沼田・延命院という寺院が第二番であった。しかし延命院が廃寺となったため、阿弥陀如来が恵明寺に移されたたので第二番寺となった経緯がある。江戸時代の切絵図を見ると江北ジャンクションの真下、区立五色堤公園の辺りに阿弥陀堂があり別当恵明寺とある。荒川放水路の工事により阿弥陀堂も廃止され恵明寺に移ったもの。

門前には2基の庚申塔と1基の地蔵が並んでいる。右は角柱型で日月の下に「庚申」、その下に大きく「青面金剛」と彫られている。造立年は文政8年(1825)6月で他に文字は見られない。中央は舟型光背型の庚申塔で、元禄5年(1692)9月の造立。日月、青面金剛像、邪鬼が描かれているが三猿は見当たらない。尊像脇に「奉造立青面金剛 庚申」とある。左の小さい石仏は角柱型で上部に地蔵座像が陽刻されている。造立年は延宝8年(1680)。

山門をくぐると立派な宝篋印塔が目に入ってくる。文化6年(1809)4月造立の宝篋印塔で、「武州足立郡沼田村 宮城山二十七世 開眼道師法印」とある。宮城山は恵明寺の山号である。

向かいには子育地蔵堂があり、複数の地蔵菩薩がある。中央に大きな子育地蔵座像があり、台石には「子育安産地蔵尊」と刻まれている。年代は不明だがおそらく江戸時代であることは間違いないだろう。その右の丸彫の地蔵菩薩も年代は不詳だが、台石に「小伝馬貮町目 講中敬白 表門前通」とある。

子育地蔵の裏手には板碑が無造作に置かれている。一般的に板碑は準秘仏扱いされて大切に保管されていることが多いが、このように境内に置かれているのは珍しい。ただし文字はほとんど読めない。恵明寺の創建年代からすると板碑の時代ほど古くないので、これは寺とは関係が薄いのかもしれない。

墓所の入り口に気になる石仏があった。舟型光背型の聖観音菩薩なのだが、台石に三猿があるので庚申塔かもしれない。当然石仏と台石が元々は別物ということもあり得るのだが、サイズがほぼ合っている。聖観音像の造立年は寛文9年(1669)12月で、「宮城村 施主敬白」とあるが、庚申の文字はどこにもない。足立区の資料でも庚申塔には掲載されていない。
場所 足立区江北2丁目4-3
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