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2022年1月 6日 (木)

素盞雄神社の石仏(荒川区南千住)

日光街道沿いにはいろいろな名所がある。素盞雄神社もその一つ。隣接して荒川区立荒川ふるさと文化館もあり、これから千住大橋を渡るという場所だけに何百年もの間、多くの人々の安全への思いが土地にこもっている感覚があった。素盞雄神社の鳥居は東、南、西にそれぞれあり、これはとても珍しい事である。

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神社の開祖は黒珍という修験僧で平安時代延暦14年(795)4月に創建、この地にあった奇岩から現れた神が素盞雄大神(牛頭天王)と飛鳥大神であった。素盞雄大神の社殿を西向に造営し、飛鳥大神の社殿を南向きに造営したのが二つの方角の鳥居の起源である。東側の鳥居は日光街道が出来てからの入口にあたるからではないかと思ったが、実は江戸時代の日光街道はふるさと文化館と神社の間辺りで東に折れ、神社の境内を避けるようにしてすぐに北に向かっていた。しかし江戸時代の切絵図にも東からの入口があるので、自分の中では答えはない。

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富士塚の手前にあるこの土の中から盛り上がったような岩が瑞光石と呼ばれる奇岩である。江戸で最初に架けられた大橋「千住大橋」の架橋の際に、この石の根が隅田川まで伸びていて、それが硬くて橋脚が打ち込めなかったという伝承がある。もっとも関東平野は岩の少ない地域で、地中から大きな岩が出てくることは江戸の人々にとっては驚きだったのかもしれない。

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瑞光石の後ろはこのような富士塚になっている。小塚原富士と呼ばれており、瑞光石のある小塚の脇に元治元年(1864)富士塚を築き浅間神社を祀ったもの。富士塚というと意外に新しいものが多く、これも明治になるかならないかという近代の民間信仰の対象なのである。

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瑞光石の南側には玉垣を背に3基の庚申石仏が並んでいる。右の駒型の大きな角柱は上部に日月、その下に大きく「青面金剛塔」と彫り込まれた庚申塔で、造立は文化8年(1811)6月。右面には願主名が11人あり、その中に百目鬼清五郎という名前があり山形市の百目鬼温泉を思い出した。真ん中の聖観音像は寛文13年(1673)2月造立。光背に「念佛講供養 庚申講供養」とあり、念仏講と庚申講の共同による建立だと分かる。左の板碑型庚申塔は中央上部に如意輪観音を彫りこみ、上部に日月、下に三猿および二鶏が描かれている。造立は延宝6年(1678)10月とこれもまた古いものである。

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庚申塔の前にある手水鉢は寛政8年(1796)11月のもので勧化(かんげ)講中とあるが具体的にそれが庚申講なのかどうかは分からない。庚申塔の左側には宝篋印塔と溶けたような舟型光背型の地蔵菩薩が並んでいるが造立年などは分からない。なお、瑞光石の小塚が小塚原の地名の由来という説もあり、円通寺の塚とどっちが源義家の由来のものかは不明である。

場所  荒川区南千住6丁目60-1

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