叶仏堂の石仏(大田区西糀谷)
京浜急行線は京急蒲田駅で羽田線を分岐する。その羽田線の最初の駅が糀谷駅。以前は京急線は地上を走っており、第一京浜(国道15号線)も環八通りも京急線の踏切で大渋滞を起こしていたものだ。今は高架化されて2階と3階で発車方向がまちまちで慣れないと混乱してしまう駅になった。糀谷駅も地上駅だったがきれいな高架の駅に変わった。その糀谷駅から北東へ10分ほど歩くと民家の間に叶仏堂(かなぶつどう)がある。
堂宇の中に説明を彫りこんだ御影石がある。「この御堂には今より貮百九十年前祀られた石像がある。向かって右が大日如来で、左側は青面金剛即ち庚申である。昔から私達の先祖や先輩が代々建物を改めお祀りして来た。境内無縁仏は元禄時代より近所居住者の共同墓地で在ったが今は参詣する者もないので之を合祀して無縁碑を建て誰にでも御参りが出来るやうにした。茲に御協力下された方々を記して紀念とする。
(昭和43年5月)」とある。
右の背の高い石仏が大日如来坐像かと思いよく見たがどうやら阿弥陀如来のようだ。造立年は延享元年(1744)5月、台石正面には「奉納大乗妙典六十六部供養塔」とあり左右にそれぞれ「天下泰平 武州六郷領」「國土安穏 糀谷村念西」と書かれている。右側面には「三界万霊」と彫られている。写真中央は面白い形の庚申塔。元は駒型だろうか、戦災でかなり痛めつけられている。舟型の石の中央に塔型の陽刻があり、「南無青面金剛」の文字、脇には延宝6年(1678)9月の紀年と「六江領糀谷村」の銘。六江は六郷の誤字だろう。下部には三猿が陽刻されている。
堂の外には一つに纏められた古い石仏(墓石)が山になっている。前の2基はともに墓石だが、左の舟型如意輪観音像は宝永6年(1709)6月のもの。左の舟型地蔵座像は正徳4年(1714)11月のものである。まだまだ東京にもこういう街の古い墓地跡は散見されるが、年々消えて行っているのも事実である。
場所 大田区西糀谷1丁目26-10
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