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2022年1月 9日 (日)

大蔵水道橋脇の庚申塔(世田谷区砧)

東京には所々に水道道路と呼ばれる直線路がある。井の頭通りがその代表だが、杉並区と世田谷区を袈裟切りにするように走る荒玉水道道路もそのひとつ。荒玉水道は多摩川の水を中野区野方や板橋区大谷口へ供給する地下水道管で、その上を直線路が伸びている。正式には都道428号高円寺砧上水線という道路名。所々に杭があり大型車が通れないようになっている。

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荒玉水道道路が砧で仙川を越えるところで水道管も地表に姿を現しており、その袂に2基の石塔がある。囲いのない方は「石井」という文字が見えるが他は摩滅して読めない。石井姓はこの辺り大蔵の昔からの第一の姓で、大蔵は沢山の石井家がある。しかしこの石塔が何なのかは分からない。その右には車がぶつかっても大丈夫なほどの頑強な鉄柵に囲まれた石橋供養塔がある。

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正面には日月、その下に「奉石橋供養塔」とあり、下部には三猿があるが左の猿は欠損している。手前の路上コンクリートに1767年立之とあるが、この石塔は庚申塔であり明和4年(1767)3月に造立されたもの。願主は河野平四郎とあり石井ではない。各面にはおびただしい数の願主名が刻まれている。その中には庚申講中や念佛講中、散屋講中を含め関東近郊各地の村名とその願主名がある。年代からして水道橋とは無関係である。私の推測はもともと次太夫堀の橋に関わるものではないかと考えている。石工の名前が六郷の永井佐兵衛という人で、次太夫堀は狛江で引いた多摩川の水を六郷まで流していたから、この流域に関わる人々、そして次太夫堀沿いに走る筏道に関わる人々が参加したのではないかと。

場所  世田谷区砧7丁目1-21

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