山王清兵衛祠脇庚申塔(荒川区南千住)
JR南千住駅からまっすぐに北上する道があり600mほどで隅田川に突き当たり、そこには山王日枝神社がある。現在は荒川区南千住だが、江戸時代は山王社のある場所は橋場村、それより南は小塚原町、中村町、橋場村、三ノ輪村の入会地だった。入会地から橋場村になるところの辻からが日枝神社の参道であったから、現在角にあるドラッグストアの福太郎は参道脇にあたる。
この角に古い祠がある。山王清兵衛祠と呼ばれている。この日枝神社はかつては旧中村町の鎮守で創建は庄和5年(1316)と古い。日枝神社の説明板にこの山王清兵衛のことが記されている。「この社の入り口にあたる旧砂尾堤土手北端に歯神清兵衛を祀った小祠がある。いずれかの藩士清兵衛が虫歯の痛みに耐えかねてこの地で切腹し、遺言によってその霊を祀ったという。俗に山王清兵衛と呼ばれ、歯痛に悩む者が祈願して効き目があれば、錨(いかり)をくわえた女性の絵馬を奉納する慣わしで、千住の歯神として有名であった。」
この山王清兵衛祠の小さな境内の隅っこに板碑型の庚申塔がある。古いもので、造立年は寛文9年(1669)10月。中央には「南無阿弥陀佛」とあり、脇に「庚申講中」そして下部には三猿が陽刻されている。その下には願主7人銘がある。その手前には手水鉢があり、歌舞伎の成田屋らしき人名が刻まれている。市村、尾上、坂東、柳屋、成田屋、中村などで、もしかしたら当時の歌舞伎関係者の奉納かもしれない。
砂尾堤というのは、中世にこの辺りを支配していた砂尾長者と関係がありそうだ。当時の隅田川は氾濫を繰返す河川だったので、この辺りに堤が築かれていたとしても自然なことである。
場所 荒川区南千住7丁目23-10
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