皿沼稲荷神社の庚申塔(足立区皿沼)
皿沼という地名、実は血沼と空目した。おどろおどろしい名前は興味深いと思ったら「点」がなかった。皿沼の地名の由来が気になった。どうも「さら」というのは新しいという意味のサラ(サラの洋服などという)に湿地帯のヌマを合わせた由来のようだ。昭和50年(1975)の住所改革までは加賀皿沼町という名だった。明治時代の地図を見ると加々という地名と皿沼という地名とその間に加々皿沼という地名がある。
皿沼稲荷神社は明治時代の地図では皿沼地区にある。現在も皿沼の中心に存在する。明治時代はこの稲荷神社から東側に民家が集まっていたようだ。神社の西には中堰悪水落という用水路が流れていたが、この悪水落というのはあちこちにある用水路の名前のひとつで単純に飲めない用水路を言うようだ。周辺は農地として水路が張り巡らされていた。気になったのは神社の社殿と鳥居の向き。周辺民家に対して45度ほどズレた向きになっている。江戸時代からの村道を民家の方から来るとこの向きが良かったのかもしれない。
本殿右手に小さな社と駒型の庚申塔が祀られている。駒型の庚申塔で、日月、三猿の間に「奉供養庚申待悉地成就」と書かれている。造立年は貞享5年(1688)9月とかなり古い部類のもの。脇には「汝等所行是菩薩道」「漸漸修覚悉当成仏」とある。江戸時代初期の村人はまっとうに真面目に暮らして他人にやさしくし続ければ幸せな後世があると信じていたのだろう。
場所 足立区皿沼3丁目15-10
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