吉祥院地蔵堂の庚申塔(足立区扇)
新交通システム舎人ライナーが荒川の扇大橋を越えると足立区扇に入る。最初の駅が扇大橋。荒川は大正時代から昭和の初期にかけての大事業で開削された放水路なので、昔の街や道路をぶった切る形で流れる。しかし一歩路地を入るとそこには沢山の昔からの道が残っている。道は決して五番目ではなく、かつての農道をそのまま広げた様子で曲がりくねっている。そんな扇の一画に地蔵堂を囲んで吉祥院の境外墓地があり、その外塀に3基の庚申塔がある。
左の小さな板碑型の庚申塔は貞享5年(1686)正月の造立。かなり摩滅しているが正面には「奉供養庚申待」の文字がある。下部には願主名が刻まれている。中央の板碑型庚申塔は上部がやや欠損、下部には蓮葉が陽刻されている。造立年は万治3年(1660)9月とさらに古い。中央には「奉造立庚申供養結衆諸願就二世安樂処攸」とあり、その下に線刻の三猿が彫られている。いかにも庚申講が広まる初期のものという感じである。
右の板碑型庚申塔も頂部が欠損している。下部には蓮花が描かれている。造立年は明暦元年(1655)8月とさらに古いもの。中央には「奉供養庚申待三年二世悉地成就所」とある。この庚申塔も下部に沢山の願主名が刻まれているが、ほとんど苗字はない。塀の中の地蔵堂の創建年代は不詳だが、江戸時代の切絵図には「地蔵堂」と記されている。この辺りは本木村で少し西が宮城村、小台村との村境になっていた。太田という小字で江戸時代から民家が密集した地域であった。
場所 足立区扇2丁目3-6
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