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2022年1月19日 (水)

善応寺の石仏(足立区興野)

足立区興野を南北に走る本木新道はその名とは違って古くからの道である。その為、生活幹線道路なのにカーブが多い。江戸時代は大師道といって西新井大師への参詣道で並行して本木堀という水路が通っていた。善応寺はこの大師道から少しだけ西に入ったところにある。

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真言宗の寺院で開山は古く貞治2年(1363)というから650年も前のこと。そんな古刹だが本堂は比較的新しく昭和40年(1965)に再建されている。また明治11年(1878)に同じく興野村にあった清光寺を合併した。

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山門脇の門前にあるのが駒型の庚申塔。ブロック造りの堂宇に収まっている。造立年は宝暦6年(1753)9月で、日月、青面金剛像、邪鬼、三猿が描かれている。右側面には「武州足立郡渕江領興野村」の銘がある。左脇にある橋の支柱らしき石柱には、「興野邑世話人中」とある。これが本木堀に架かっていた橋の親柱かどうかは分からない。

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山門をくぐると左に同じような石柱に挟まれて石橋供養塔が立っている。文字が確認できなかったが、「慶応3年(1867)3月、興野村」という文字は読み取れた。本木堀の支流が寺の裏側を東西に、西側を南北に流れており、その流れに架かっていたものだろうか。

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参道右手には不揃いの六地蔵があった。右から、舟型地蔵菩薩で寛永11年(1634)9月の造立と極めて古いもの。二番目の一番背の高い丸彫地蔵は正徳3年(1713)3月の造立だが、三番目の地蔵は造立年が分からなかった。右から四番目の地蔵は享保7年(1722)12月で六十六部供養とある。五番目は享保3年(1718)11月で地蔵尊講中、一番左は享保3年(1718)11月の造立で念仏供養講中と書かれている。ちなみに右から2番目の背の高い地蔵には「庚申供養講」とあり区の資料では庚申塔として扱われている。

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本堂左手には沢山の石仏が並んでいるが、その中のひとつ写真の供養塔は阿弥陀と地蔵がならんだ珍しいもの。享保14年(1729)霜月(11月)の紀年がある。正面上部には日月が描かれ、二尊の下には「奉供養所」「天下泰平 国土安全」、右側面には「奉納廻国秩父…」と彫りこまれている。

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善応寺から歩いて4,5分の所に善能寺境外墓地がある。施錠されていて入ることができないが、祀られている地蔵を遠目に拝見した。左の地蔵は未確認だが、右の大きな地蔵菩薩像は享保19年(1734)2月の造立であった。この場所が明治時代に合併した清光寺のあった場所ではないかと思う。

場所  足立区興野2丁目20-5

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