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2022年1月 4日 (火)

円通寺の石仏(足立区南千住)

南千住にある曹洞宗円通寺はかなりの古刹で、延暦10年(791)に坂上田村麻呂が開創したと伝えられる。源義家が奥州遠征の際に打ち取った48の首を埋めて塚を築いたので小塚原と呼ばれるようになったという説も有力。また明治維新の折、新政府軍に攻め込まれ上野公園で必死の抵抗をした彰義隊の墓や、当寺上野公園にあった鉄砲の弾で穴だらけになった黒門が移築されている。

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またこの黒門の脇には吉展ちゃん地蔵があり、東京オリンピックの前年(1963)に起こった凶悪な誘拐殺人事件で、私も小学校に上がるか上がらないかの時期で鮮明に記憶している。犯人は円通寺の墓地で吉展ちゃんを殺害したのである。私とほぼ同年代なので祈らざるを得なかった。

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吉展ちゃん地蔵の向かいには六地蔵他が祀られている。この六地蔵は江戸時代の中期、読める紀年からすると宝永6年(1709)、宝永8年(1711)、正徳5年(1715)、享保3年(1718)ともっとも華やかな江戸だった時期のものである。

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そこから本堂寄りにはフェンスがありその奥には石仏の山がある。この山が源義家による首塚という説もある。その石仏の山の上には4基の板碑が祀られていた。紀年等が分かるのは2基で、右から二番目の大きな板碑が永仁4年(1296)10月の造立、一番左の梵字が大きく書かれたのが嘉暦4年(1329)1月の造立で、鎌倉時代前期のものとして貴重である。

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石仏の山(首塚)の手前の両脇には燈籠が立っている。左の燈籠は六十六部供養の燈籠で、正徳3年(1713)4月の造立。竿部に陽刻されているのは地蔵菩薩。中央に「奉納大乗妙典六十六部」「四國西國秩父坂東」と刻まれている。右の燈籠の竿部には三猿が陽刻されており、造立年は正面からは見えないが宝永3年(1706)11月。どちらも日月が火袋の窓にあるようだ。

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円通寺の南側の塀沿いに小道があり、それを辿って裏に回ると円通寺の裏角のブロック塀に聖観音菩薩像が埋め込まれている。これはいささか驚いた。円通寺の裏には江戸時代から浄閑寺堀という用水路が流れていた。それを横切るように塀脇の通路が残されているのだが、実は明治時代の終わりまでこの円通寺の裏手は田んぼだったのである。

場所  荒川区南千住1丁目59-11

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