墨田区墨田にある真言宗多聞寺の創建年代は不詳だが、天徳年間(957~960)には存在したという記録がある。当時は隅田寺という名前だったらしい。当時の隅田川の流れがどうだったのか分からないが、明治時代あたりが墨田村だったころはまだ荒川はなく、墨堤通り沿いに鎌倉街道が通っていて、墨田村から堀切村を経て葛飾村に延びていた。

本堂の手前に茅葺屋根の山門がある。都内では珍しい。墨田区の指定文化財になっており、寺伝では慶安2年(1649)に建立されたのち、享保3年(1718)に焼失。その後数十年の間に再建されたらしい。少なくとも200年以上は経っている貴重なものである。また多聞寺の裏手にはかつて渋沢栄一の起業の流れを汲む鐘ヶ淵紡績会社の工場があった。昭和時代に誰もが知っていたカネボウである。

本堂手前には六地蔵座像がある。すべて座像というのは極めて珍しい。これらは7年ほどの間に墨田村の地蔵講中が建立したものである。右から、正徳3年(1713)2月、正徳4年(1714)8月、正徳3年(1713)8月、左半部は中央から、正徳2年(1712)2月、享保元年(1716)9月、享保3年(1718)10月の造立。これほどのクオリティで短期間に造立したということは財力があったのだろう。

山門の方に戻ると庚申塔が多数並んでいる。一番本堂側(向かって左)は櫛型角柱型の庚申塔で、元禄15年(1701)7月の造立。日月、青面金剛像、邪鬼、三猿が陽刻され、青面金剛は二童子を従えて左手にショケラを持っている。その右にあるのは駒型の庚申塔で、日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿が描かれている。造立年は残念だが読み取れなかった。「奉願修庚申辰待連主諸願成就」「現世安穏」の文字と「九月」の文字は読めるが、年の部分が欠けている。
その横には板碑型の庚申塔。三猿が大きく陽刻されている珍しいもの。上部には日月があり、造立年は延宝8年(1680)11月。「下谷」「奉庚申待」「御植木町」の文字がある。その右の角柱型の庚申塔は下部に三猿が陽刻されているのみで、その上には元禄10年(1697)2月の紀年と「奉造立庚申供養搆中偽安楽所」の文字がある。
その横には小さな祠があり、そして舟型光背型の聖観音像。造立年は明和8年(1771)9月で、「奉供養観音講▢▢▢」とある。台石の文字もかなり摩滅が進んで読み取りにくい。右の舟型地蔵菩薩立像は台石に三猿が描かれていることから庚申塔であることがわかる。「奉造立地蔵尊庚申供養二世祈所」とあり、延宝8年(1680)9月の造立である。
その先には堂宇があり左は新しい子育地蔵だが、右は上部が欠損しているものの貫禄のある舟型光背型の阿弥陀菩薩像。造立年は寛文4年(1664)9月と最も古いもの。これだけの名佛が集められているのは大したものだと思う。
場所 墨田区墨田5丁目31-13
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