首塚地蔵尊(墨田区墨田)
正福寺の門前に首塚地蔵尊がある。管理は当然ながら正福寺が行っている。首塚というとどうしても大手町の将門の首塚を想起してしまうが、ここの首塚ははるかに庶民的である。
中央には自然石のような光背を持つ地蔵尊があり、その後ろに沢山の石仏が並んでいる。説明碑によると「天保4年(1833)洪水の危険を防ぐための隅田川橋場付近の川浚い工事の際に、川床より多くの頭骨が発掘された。関係者は正福寺の16世住職に相談し、ここに合葬、碑を建てて首塚と呼んだと伝えられる」とある。地蔵はその時に建立されたものらしい。
それ以来この首塚地蔵尊は首から上の病に御利益があると信じられ信奉されてきた。地蔵尊の後背の上部が欠損しているのは戦災によるものだろうか。都心部の石仏は第二次大戦の戦災で破壊されたり破損したものが極めて多い。明治初期の廃仏毀釈と戦災をくぐりぬけてきた石仏のみが今残っているのである。
場所 墨田区墨田2丁目6-20
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コメント
樺澤家 総代さん
浅間山の噴火による被災者の慰霊塔は意外に東京のあちこちにあります。調布市の源正寺、江戸川区東小岩の善養寺、東水元日枝神社、柴又の題経寺などに石塔供養塔があります。江戸川は当時吾妻川から直流していたので分かるのですが、調布市の供養塔は川から離れています。おそらく江戸時代の人々にとっては関東全体の問題だったんでしょうね。石に刻まれて数百年記録される人心と、WEBに書かれて消費されてしまうコメントの違いを強く感じながら石仏探訪をしています。
投稿: ぼのぼのぶろぐ管理人 | 2023年10月 7日 (土) 08時56分
https://www.tsuitonet.com/kabasawajun/about
こういうネット上のお墓も作れますので、
大火または浅間噴火(私、樺澤潤は群馬県の吾妻川近くの出身)ですので、弔いにはなるかもですね。
ずっと後世の人間たちが語っていくことは大事だと思ってます。
投稿: 樺澤家 総代 | 2023年10月 6日 (金) 08時28分
樺澤潤さん
ありがとうございます。現場には読みにくいブロンズの説明板がありました。「天保4年(1833)洪水の危険を防ぐための隅田川橋場付近の川浚い工事の際に、川床より発見された」とは書かれていますがいつの頭骨なのかは書かれていませんでした。想定できるのは江戸で100回以上を数える大火の時に川に飛び込んだ人か、浅間山の大噴火<天明3年(1783)>の時に大泥流で流下したものでしょうか。説明板には諸説あると書かれていました。
投稿: ぼのぼのぶろぐ管理人 | 2023年9月30日 (土) 19時28分
今日、通りました。その多くの頭骨って水害なのですかね?そして時代はいつの?
もっと縄文時代のものだったりしたら奥行が拡がりますね!
投稿: 樺澤潤 | 2023年9月29日 (金) 12時14分