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2022年2月20日 (日)

円光院の石仏⓶(練馬区貫井)

円光院門前の石仏のうち山門よりも左側にも多くの石仏がある。手前には豊嶋霊場碑(明治41年)と子ノ権現碑(文化7年)が立っているが、その後ろには庚申塔や馬頭観音がいくつもある。

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山門よりにある2基のうち右の角柱型は巡礼供養塔で以前は山門の右にあったもの。造立年は安永7年(1778)9月で「奉造立西國秩父坂東百箇処順礼供養塔」とある。左の大きな唐破風笠付角柱型は庚申塔。造立年は元禄6年(1693)10月で右側面には「奉待庚申供養二世安樂祈」とある。正面は日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄で、左面には「武刕豊嶋郡上練馬之内 貫井村結衆三十人敬白」と刻まれている。

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左へ向くと櫛型角柱型の廻国供養塔と笠付角柱型の庚申塔がある。廻国供養塔は明和7年(1770)の造立。「奉納大乗妙典六十六部日本回国供養」の銘がある。右の笠付庚申塔は日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿の図柄で、宝永元年(1704)11月の造立。右側面には「奉造立庚申供養二世安樂所 武刕上練馬之内」とあり、右側面には「田嶌村施主十二人」と書かれている。この庚申塔は以前は貫井4丁目30の東高野山道にあるマンション脇の赤い電話ボックスの所にあったもの。田嶋村は貫井にあった集落だろうか。

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その奥には駒型の庚申塔。日月、青面金剛像、二鶏、三猿の図柄だが、以前は上部欠損した状態だったのが修復されていた。右の奥の手に下げているのは珍しい形のショケラだろうか。造立年は元禄5年(1692)霜月(11月)で、これも赤い電話ボックスの所にあったものを移設した。尊像右には「奉造立庚申供養二世安樂所 武刕豊嶋郡」とあり、左には「上練馬内田嶋村」とある。隣りの角柱は大正14年(1925)1月造立の馬頭観世音で、側面には加藤作兵衛の願主名がある。奥野角柱型は廻国供養塔で享保11年(1726)造立。願主は長州豊浦郡浮石村行者古沢平右衛門とある。私の故郷に近い。

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道路側に回ると右端は石幢六面七観音像。文化8年(1811)10月の造立で、如意輪観音像の光背部分には光明真言供養塔とある。その下の竿部が六面の観音種子になっている。台石には旧来我等の祖先が使用し来る字田島の686の墓を円光院墓地へ移すという旨のことが記されている。台石の紀年は昭和5年春とあるので、墓の移動はそのときだろう。左の丸彫地蔵菩薩は頭光あり、しかし紀年は不明。

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その左隣の地蔵菩薩も同じく造立年不詳だが、その左の3基の角柱型の馬頭観世音には紀年が記されている。右の大きい馬頭観音が大正12年(1923)12月、中央が昭和14年(1939)、左端が昭和2年(1927)で本橋金四郎の願主名がある。

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山門内には石仏は少ないが手水鉢が文化5年(1808)のものを今も使用している。背面に「地内商人・上下練馬・蕪ヶ谷戸・中村・中荒井各講中」とある。

場所  練馬区貫井5丁目7-3

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