« 白鬚神社の石仏(墨田区東向島) | トップページ | 谷原の庚申塔(練馬区富士見台) »

2022年2月11日 (金)

子育地蔵堂の庚申塔(墨田区東向島)

墨堤通りにある子育地蔵堂は2020年~2021年にかけて修復工事中。 堂宇の中の地蔵菩薩の尊顔はまだ拝んでいない。この地蔵菩薩、文化年間(1804~1818)に行われた隅田川の堤防修築工事の際に土中から発見されたもの。最初は村の子どもたちが御輿代わりにこの地蔵を担いでいたという。

P1090353

地蔵伝承としては、この地に古くから住む植木屋平作に雇われていた夫婦が川沿いの田地で殺される事件が発生。犯人は分からず、しかしこの地蔵が村の子どもの口を借りて犯人の名を告げた。そこで平作はこの地に地蔵を安置して供養するようになった。その後将軍徳川家斉が鷹狩りでこの地を訪れ、平作宅で休憩をした折にその由来を聞き、ここに御堂を建てた。するとご利益があるとたいそうな人気になったという。地蔵尊拝顔は宿題にするが、境内には沢山の石仏が集められている。

P1090337

墨堤通り側にあるのは笠付角柱型の庚申塔。正面に四行の文章が刻まれ「一徽善根‥‥以其十ケ年庚申奉待事乃依之五智‥‥一切衆生供二世成一時願也施主 敬白」と刻まれ側面に寛文3年(1663)7月の紀年がある。その近くには正面に大きく庚申塔と刻まれた自然石の庚申塔がある。こちらは万延元年(1860)7月の造立。「御手洗藤原正邦▢」の文字も見える。

P1090343

地蔵堂手前には駒型の庚申塔が3基並んでいる。右は日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄で三猿は台石にあるがほとんど土中に埋まっている。邪鬼は摩滅して輪郭が残るのみである。造立は元禄11年(1686)2月。中央の駒型庚申塔は日月、青面金剛像、三猿の図柄。三猿は摩滅して薄くなっている。造立は元禄7年(1694)1月。左の水道脇の駒型庚申塔は日月と青面金剛像しか確認できない。造立年は元禄3年(1690)2月である。

P1090349

銀杏の木の根元にある舟型の聖観音像も実は庚申塔で、左肩の脇に「奉供養庚申」と刻まれている。造立年は貞享3年(1686)3月で、「了心禅定門」という文字がある。禅定門は男子の戒名だがなぜ反対の肩に奉供養庚申とあるのかが気になる。

P1090347

その脇には角柱型の馬頭観世音菩薩があるが馬頭観世音以外の文字は分からない。この地蔵堂の前の道は墨堤の工事で土盛りされた明治44年(1911)以降地蔵坂と呼ばれた道だが、高低差と勾配は殆どない。その為私の坂道シリーズには含めていない。下町の低地の人々が墨堤の坂も坂名を付けて場所を認識したのは江戸の名残りのひとつだろう。

場所  墨田区東向島3丁目2-1

|

« 白鬚神社の石仏(墨田区東向島) | トップページ | 谷原の庚申塔(練馬区富士見台) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 白鬚神社の石仏(墨田区東向島) | トップページ | 谷原の庚申塔(練馬区富士見台) »