正福寺の石仏(墨田区墨田)
正福寺は真言宗の寺院で慶長7年(1602)の創建。歴代住職のなかで江戸時代にいた伝雅和尚という人は無類の猫好きで数十匹の猫を飼っていたと伝えられるが、現在の境内に猫は見られなかった。当時は「ねこ寺」と呼ばれていたという。
本堂の背後に養生シートの掛かった建物があるが都立白髭アパート・マンションが1㎞以上まるで堤防のように連なっている一部。江戸時代そこにあったのは広大な木母寺という寺院である。梅若伝説に因む寺院だが明治の廃仏毀釈で移転を余儀なくされ、隅田川河畔にわずかな境内で今に至っている。
山門をくぐって間もなく右手に古い手水鉢がある。手前に三猿が陰刻されており明らかに庚申講中によるもの。造立年は寛文7年(1667)4月。「奉造立庚申供養二世安樂所」とあり、願主名が地名と共に多数刻まれている。この手水鉢は墨田区内でも最古のものだという。
そのすぐ近くにあったのは舟型光背型の阿弥陀菩薩像。樹木の影が邪魔して見づらい写真しか撮れなかった。かなり大きなもので、造立年は万治4年(1661)とある。舟型部分には偈文(げもん)がびっしりと彫りこまれている。
次に会ったのは分厚い板碑でかなり大きなもの。墨田区内の板碑で最も古いものだという。造立年は宝治2年(1248)3月で都内最古。鎌倉幕府の最盛期で北条執権政治、平家物語が書かれた時代である。越前に永平寺が創建されて間もない頃で、この四半世紀後に元寇が起こるという古い時代のもの。その脇には紀年不明の上部が折れた板碑もあるが、この大きな板碑は近くの御前栽畑(ごぜんさいばたけ)から江戸時代に発掘されたものとされている。
本堂の左手に進むと無縁仏塔がある。その中に庚申地蔵が1基、舟型光背型で上部は欠損している。下部には三猿があるようだが、他の石碑が詰まっていて確認できない。尊像の顔の右に「▢主庚申供養二世安枠所」の文字が読め、左側に寛文10年(1670)8月の紀年が読める。
場所 墨田区墨田2丁目6-20
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