久原小学校下の庚申塔(大田区久が原)
久原(くがはら)小学校、久が原、久ヶ原と3つの表現があるが、どれも読みは「くがはら」である。しかし小学校は昭和26年まで「きゅうげん」と読んだらしい。それがなぜなのかは分からない。小学校の東を北から南に下る坂道は昭和に入る頃に出来た道で、それ以前は小学校の東にある久が原東部八幡神社の前の坂「宮坂」を通っていた。
小学校の坂下は緩やかな谷になっていて呑川の支流がこの短い谷を形成したようだ。現在は川の流れの痕跡も分らない。谷頭は平間道(中世の東海道)が尾根筋を通っていた。耕地整理が行われさらに宅地開発で坂道が均されて平坦になってくると気づかなくなるがこういう微地形に敏感になると街歩きの世界が広がる。
おそらく細流が流れていたであろう低地に庚申堂がある。堂内には角柱型の庚申塔が祀られている。文字塔で正面には「庚申供養 南無妙法蓮華経 久ヶ原村」と書かれている。造立年は享保20年(1735)12月。願主10人銘が刻まれており、松永姓が3人、平林姓、中嶋姓、野口姓が2人、青木姓が1人だが、この堂宇の前にあるのは平林家である。堂内には平成29年に堂宇を再建した折の協力者名があるのだが、その中にエステベス・ミゲルさんという名前があったのには思わずうれしくなった。
場所 大田区久が原2丁目28-28
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