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2022年3月10日 (木)

熊野神社の石仏(大田区山王)

荏原台の海食崖線の上にあるのが山王熊野神社。善慶寺の境内から鳥居をくぐり急な石段を登るが、裏から入ると平坦に思える。創建年は不詳。平将門の乱(935~940)の鎮圧に下校した武将熊野五郎武通が当社に戦勝祈願をしたという言い伝えがある。

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善慶寺の山門の標高が6mで熊野神社の社殿の標高が20mだから高低差は14mほどある。右の女坂と思われる側の中腹には稲荷神社がある。寺の境内から上る神社というのもまた雰囲気が違って面白い。神仏習合の名残りが何となくうれしい。

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石段の8合目辺りにあるのが2基の供養塔。大きい方が石坂再建供養塔で、文政10年(1827)3月に氏子中世話人間宮源治郎ら10人によって奉納された。その隣にある小さな石塔も石階建立供養塔とあり、享保17年(1732)8月の紀年がある。新井宿村講中が「他力を以て石階建立」とあるので、江戸時代中期に石段を整備した時に小さい方の供養塔、江戸時代末期にそれを再整備した時に大きい方の供養塔を建てたのだろう。

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石段途中の稲荷神社の近くに手水鉢がある。しっかりした材質の石で、新井宿村の庚申講中町田惣右衛門らによって奉納されたもの。造立年は文政9年(1826)とあるがその下の月日の文字が削れてしまっている。

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本堂の左脇にあるのが狐塚と庚申塔。庚申塔はシンプルな墓石のような角柱型で、文化14年(1817)8月の造立。手水鉢と同じく松田惣右衛門らが建てたものである。左の狐塚は上部に「狐碑」と刻まれ、「此狐人に害をな須古と久し、民之願是を悪む今茲に、文久元歳辛酉御嶽靱矢、市正埋禦萬世堀事南可連」とある。この辺りは木原山と昔は呼ばれていて将軍の御狩場であった。ウサギやキツネなどが沢山棲み、碑は狐の害に悩まされた農民たちによって建てられたという。

場所  大田区山王3丁目43-11

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